フランツ・リスト (1811〜1886)
|
1.ラ・カンパネラ(gis-moll)(演奏時間 5分16秒)
リストはこれまた、ショパンと同時代にパリで
大活躍した。当初二人は大変に仲がよかった。
しかしおとなしいショパンと違って、金髪の
紅顔の美青年であったリストは多くの浮名を流し,
一時はショパンとダグ−婦人をめぐって
恋のさや当てをしたようであるが、やはりリストが
勝った。
以来ショパンはリストを煙たがっていたようである。
全てにおいて、人間的にも作品においても
対照的な二人は、以来交流はほとんどなかったようだ。
リストはハンガリ−生まれ
11才には、ウィ−ンに移り、チェルニ−に
ピアノを又,サリエリに作曲を習っている.
しかし、まもなく1823年にパリに行き、
パリ音楽院で勉強をつづけようと思ったが、
外国人だからとことわらけたので、
社交界にデビュ−し、ピアニストとして大成功した。
しかし、金髪碧眼、眉目秀麗で社交に長けたリストは
数々の浮名を流し、健康も害するとかねてより父の影響の、
宗教的懐疑主義と悲観主義とで、聖職者になりたい
という願望を強くもっていた時期もある。
1834年の彼の“詩的で宗教的な調べ”の作品は、
それまでの華やかなさとはうって変わった
いぶし銀のような作品群である。
それは、ちょうどショパンと親交を結んでいた時期
でもあり、ショパンからかなりの影響なり、
示唆を受けていたのではないかとわたしには思われる。
1835年からリストはスイスでダグ−婦人と暮らした.
幸せな彼は“巡礼の年第一年”の佳品を作曲している。
後年、ドイツのワイマ−ルで指揮者として、教師として
長年活躍し、音楽家の芸術家としての地位も向上させた。
またその多くの自由で大胆な作品は後世に多大な影響を
与えている.
“ラ カンパネラ”は、1851年、ワイマ−ル時代に
完成された<バガニ−ニ大練習曲(全6曲)>の
第3曲だが、ラカンパネラだけかなり若い頃の作品。
リストは若い頃、巴里でバイオリンの名手パガニ−ニの
演奏をきいてその超人的な名人芸に感動し、
「俺は ピアノのパガニ−ニになるんだ。
さもなくば、気違いに!」と叫んだのは
あまりにも有名である。
パガニ−ニのヴァイオリン協奏曲の最後の楽章の
名高い“鐘のロンド”(h−moll)に基づいて
作曲されている。
そして、パガニ−ニのヴァイオリン曲を土台に
ピアノのウルトラC級のテクニックを
追求したのが、バガニ−ニ大練習曲である。
|
|
|
Copyright 2006 Spiritual Peace Musician Ikebe Yukie , All right reserved.
|