ゆきちゃんの世界
  * * * ポエム * * *
補足 「本当の愛」とワンネス(一体性)の哲学

ゆきちゃんの
「その光こそ全てと一体であり」という直観的な把握は、
一者は多者であり、多者は一者であるという「非二元」「ワンネス」となっていることを
もう少し論じます。
赤い字は、ケン・ウィルバーの文章です)

一者と多者は、二元ではなく、非二元であり、一体(ワンネス)ととらえていることを
私は支持します。
すべてに対する無限の愛はそこから生まれます。

今日までの文明は二元的でした。
私たちがめざす新しい文明は、非二元です。
それは、
「エロスとアガペーの・・・バランスをとり、統合する」ことです。

「プロティノスは『この世界』から離れて、『あの世界』を見つけようとするものは、
 完全にポイントを見失っていると書いている。
 『この世界』『あの世界』があるのではない」

ケン・ウィルバー『進化の構造2』、40ページ

エロス(献愛)とは一者への愛です。
アガペー(慈愛)とは多者への愛です。
ゆきちゃんは、ピアノの演奏の中でコスモスの深部からの
振動と光に愛とあこがれを感じます。
それはエロスです。
同時に、その光と愛を、この世のすべてにそそぎたいとおもいます。
それはアガペーです。

本物の愛は、そのふたつを同時に兼ね備えています。
アガペーなきエロスは、すなわち一者のみの追求は、この世の否定につながります。

宗教は二元であり、神と人間は分離しており、
神のためにこの世を否定する側面をもっています。
ブッシュやアルカイダ?の宗教的原理主義は、この世に憎悪を引き起こしています。

あるいは、エロスだけ追求する人は、
小泉改革で、財あるもの以外の一般庶民の暮らしが悪化し、
日本や世界が悪化することなど、自分の関心の外にあります。
憲法9条への攻撃がされても自分のことと感じません。

「統合されないエロスは、ただ高位に手をさしのべて、・・・低位を切り離し、
 低位を抑圧するのである。
 ・・・それは禁欲的な抑圧、「この世のもの」すべてに対する否定、恐怖、憎悪にみちている」

ケン・ウィルバー、同書、35〜36ページ

逆に、多くの人々は、一者を認めず、多者への愛=アガペーのみを追求します。
しかし、軸心を失い、多かれ少なかれ多者の波に埋没していまいます。
近代文明は、「高位」をすなわち、心のありようの「深さ」「高さ」を捨て去り、
フラットランドの世界にしてしまいました。
魂は空に浮き、弁論術のソフィストたちが議論に勝つ術を教育するようになりました。

「アガペーと慈悲の名のもとに彼らは低位を抱擁せんとする絶望的な希求のなかで、
 すべての高位をあやまって破壊してしまうのである」

ケン・ウィルバー、同書、38ページ

私たちの心の成長の終点は、全宇宙を心の中に取り込むことです。
全宇宙=すべてが私である時、すべてに対する愛をもちます。
それはサルカールの言うネオ・ヒューマニズムです。

「プロティノスは言う。自己の成長とは、そのステップごとに、
 より多くの「外界」を自分たちの内部に取り込むことである。
 より多くのものを外に閉め出すことではない」

 ケン・ウィルバー、同書、40ページ

ゆきちゃんの「本当の愛」は、すべてに対する愛です。

進化の構造〈1〉
進化の構造〈1〉
ケン ウィルバー, Ken Wilber, 松永 太郎

進化の構造 (2)
進化の構造 (2)
ケン・ウィルバー, 松永 太郎


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