ゆきちゃんの世界
  * * * 阪神淡路大震災ボランティア * * *
励ましのお手紙の数々

1995. 1月.2月..3月..

  石川 和子     千葉市
 地震災害お見舞申しあげます。何と申しあげたらよいのか、地獄絵図を見るようです。
YUKIさん宅は如何ですか、心配しております。電話はパニックで通じず、あれこれと思い心を痛めております。ケガも無く、無事であればと祈っております。

 私の方は住吉台に住んでいる義母はケガもなく、マンションも何ともなくてホッとしております。
今は高槻の義姉の家で世話になっています。

 本当に大変なことになりましたね。これからどうなるのか予想もつかないですが、神戸らしい神戸をとり戻すのは何年かかるのでしょうね。

 映像を見る限りでは、人間 意外に強いものだなあと思い、お互い助けあって生きている姿を見て、人間捨てたものではないなあと 温かい気持ちになりました。ご不自由な生活をされていると思います。少しでもお役にたてたらと思います。何でも言って下さい。
 元の生活に戻るのは ずっと先の事でしょうが、お身体を大切に頑張ってください。
この手紙もいつ手元に届くか分かりませんが、心配しております。 1995・1・22

(2信)
・・・・通信を読んで、私がいいたい事を全て言って下さって、私の考えが間違っていないのだと確認できたのでホッとしました。

 便利で豊かな生活があたりまえになって、人間の身勝手さに反省することもなく、急速に発展した日本。その裏には手抜き工事があったこと。自然を無視し、心を置いてきたことに気づかしてくれるには、あまりに多くの犠牲者をだしてしまいました。多くの被災者の苦しみ、深い悲しみをしっかり受けとめ、謙虚に自分自身を反省しなければと思っています。

 村山さん、他人事のような言い方をしないで、貝原さん、神戸株式会社といわれないように温もりのある未来図を願います。・・・  ・・規則ですからマニュアルどおりにとポンコツ頭の役所の方々、臨機応変という言葉を忘れてしまったのかしらと思います。 

 避難所でもしっかりしたリーダーが居る所は、不自由な生活であっても前向きに生き生きとしていらっしゃるように思いました。今の日本はリーダー不在ですものね。遠く離れて高見の見物をしている自分が、とても心苦しいです。何れ帰るであろう愛する神戸の明るい未来を信じています。・・・・             1995. 2.

 飛澤 久子     逗子市
 お元気でいらっしゃいますか。何度かお電話やファクスで連絡したのですが、通じないので心配しています。私がそちらへ飛んで行けるとよいのですが、仕事があったりで、こちらで気をもんでいます。

 私に何かできることがありましたらお伝え下さい。ご一家のご無事をひたすら祈っています。お年賀であなたの活躍ぶりを感心し、共感を覚えていた矢先に、この災害で本当に驚いています。どうぞご無事でいらっしゃいますように祈っています。 1995・1・31
 
  高田 啓子    豊中市
 この度の阪神大震災の被害の大きさに心痛み、心よりお見舞い申しあげます。
「神の戸」がたたかれ、私の心の中もコッコッグラッと戸をたたかれ、本質をみてごらん、本当のところをしっかり見てごらん、という神の声を聞いたように感じました。
                         
 大きなゆれの中から、私は何故か、生かされている、何故か私は生き残ることを許されているというすごい感謝と共に、意味があって生かされているという思いを強くしています。

 神戸には、YUKI様のような方がいて下さるから、これから本当にすばらしい(霊的な意味で)今までの物質万能でない、ユートピアが生まれて建設されてゆく!という思いがしきりとしています。寒い時期で悪い風邪もはやっています。くれぐれもお体を大切に守られてご活躍されますよう心よりお祈り申しあげております。

 お送り頂きました玄米が大助かりにしております。有難うございました。・・・    
・・私の方、両親の家の瓦はほとんど落ち、今、やっとその修理に動き出し、東灘区におりました私の妹一家が避難して来ておりましたのが、やっと落ち着きをとりもどし、移ってゆきました。私で出来ることがございましたら何なりとおっしゃってくださいませ。・・・ 
 ・・又顔を合わせて、お目にかかれます日を楽しみにいたしております。くれぐれも御体、お大切になさってくださいませ。    かしこ   1995・2・6 

小川 茂年      伊豆下田市

 お手紙有難う。
 今旅先から帰った処です。
 無事を信じていましたから ご連絡しませんでしたが お元気で何よりです。
 しかし、震災の前日、急に貴方が思いだされ「生きている」の送付のことに気づき、旅先で貴方だけに郵送したのですから、見舞いの第一号といってもよいでしょう。・・・
 
 ・・・・家族の皆さんによろしく、元気で 元気で 
 本当の勇気と玄気とをもって 生きていてください    1995・2・25

       「生きている」      3月号より  小川茂年           
 
    照顧脚下と昔の偉い人が言った  
    それをまねして誰も彼もが  きょろきょろしないで
    足下をみよとか  足下を照らせとか  
    一隅を照らせとか  色々言ってきた

    足下に一番大切なものが  隠されて光っている
    自分の姿がある  それをはっきりみろと 語っている

    その足下が  自分より  もっと深いところで  大きく揺れ始めた
    見よだとか  照らせだとか  顧みよだとか  言っていられない
                    
    足下で  大きな恐怖が  日本列島を走っている
    一番大切だと言った処で   悲惨な崩壊が始まった
                      
    具体性のない  きれいごとや  言いのがれの為の  でまかせや
    特権意識の自己保存の傲慢さや  無責任のひとりよがりが
    そして  無智による哀れな自信が  
    きれいに  恐ろしい程に  崩壊させるような揺れが
    人をためすように始まった
                        
    足下をみることが  どんなに恐ろしいか  どんなに厳しいものか
    いいかげんに  ひとごとのように  わかったように
    ごまかしていることが  どんな現実を  ひきおこしているか
                        
    まだわからないのか
    まだわからないのか
                         
    どうしたら
    わかってもらえるのか
                         
    自然が  どんなに悲しく  人に訴えていることか
    本当に  足下をみてくれとの   祈りなのだ
                               

  美濃 淳子      東灘区で被災  岸和田市

 その後、いかがお過ごしですか、灘区の山手では水道も出はじめたとか、暮らしむきも幾分落ち着かれたのではと、少しは明るい気持ちになりました。

 それにしても今回の震災ほど「地球は生き物だ」ということを思い知らされたことはありませんでした。私の実家の井戸が暮れから急に枯れてしまい、みんなでおかしいと言いあっていたこと。地震がおきる前に「地震雲」を見たという知人や「一瞬、火柱と稲妻が走った」と証言する友人など、いろんな現象があったことを考えると、本当にもっと早く地球からのメッセージを受けとめていたら・・と今になって思います。神のご加護か運命か、生きながらえた者として、今後どのように生きたらいいのかと、考える毎日です。

 この震災で私が学んだことは、人間というのは一人だけ幸せにはなれないということでした。
一瞬にして愛する者を失った人の嘆きがどれほどのものかと思うと、胸がふさがる気がします。周囲の人々みんながHappyであってはじめて自分もHappyになれるわけで、悲しみ、嘆き、困っている人が多勢いるような状況では楽しいことなど何ひとつないような気がします。
子供の学校の校長先生や多くの児童、友人の母、知人を幾人も亡くし、まだテレビの娯楽番組を見る気にもなれません。

 かといって暗い気持ちで沈んでばかりもいられないので何とか気を取り直し頑張るつもりです。それにしても関東大震災も五黄の年、また災害は亥年に圧倒的に多いそうで、地球のリズムを思い知らされました。

 夫の通勤の関係で、3月末までは神戸へ帰れそうにありませんが、また4月からyukiさん達とお会いして、語りあい、勉強したいと思っていますので、どうぞよろしくお願い致します。藤田さんも茨木と遠方になりましたが、又皆様でお会いできる日を心から楽しみにしております。
・・・  ・・そんなわけで、早くお会いできるよう、また、神戸の人達が平和な暮らしに戻れますよう心からお祈りしています。
yukiさんもどうぞ元気でお過ごし下さいませ。                     1995・2月
 
 
  森山 えみか      札幌市
 お忙しい中、通信を送っていただきありがとうございました。お子さんは青森の方へ行かれたのですね。

 お正月に地震のことを思いだしたりしながら、昨年12月28日に震度3があったり、又去年の成人式の道東の地震のことなど食事の時に話したりしていました。
 17日の朝の地震は朝早くから注目していました。そして正食の仲間から希望があったら引き受けようねとか、私一人の決心でしたが、子供にも心づもりをするようにと話していたところです。・・・・  ・・

 今、1カ月前の地震のことをNHKで放送していますけど、日本の男は何につけてもうといというか、反応がきちんとしていないとか、地震の対応もそんなところから、とろいという結果になるわけです。うとい、とろい男なんて、いやですものね。パッと反応できないのは、頭の中に準備がないわけですからね。・・・・・まず、家事もできるようにならないと、それから子育て、そして仕事、勉強、趣味といかなくては。勉強だけ、仕事だけなんて、幼児です。私は子供にこんな風によくいいます。

 ・・・・正食を始めて20年、玄米は26年になります。ボツボツ近所の家と少しずつちがう、もちろん良い結果が目にみえて参りました。年々、正食のありがたさをかみしめられる近ごろになってきましたのよ。正食ってほんとうにありがたいですね。・・・・

 ボランティアや本物を感じる会の活動などお忙しそうですね。時間がありましたら、お便りをください。・・・・・・            1995・2・17
 

橋村 直忠     奈良市
 
 地震のお見舞い申しあげます。
 新年の「本物を感じる会」のご案内にありましたこと全く共鳴致します。私も、心はコントロールドラマの中にあるというところからコトバハズシを通じて、別の次元へのアプローチに30年の年月を重ね、ますますコトバのことをぬきには、何も変わらないということを感じています。ありがとう!            1995・2・5
 

  瀧端 明子        横浜市
 弥生3月1日の朝、横浜は一面の銀世界です。紅梅に雪が積もり、美しい景色です。
 阪神大震災から、もう1カ月過ぎてしまいましたね。テレビで神戸の被害状況をみています。知っているところだけに涙が出てきます。生活、不自由してませんか。バイタリティーのある貴女だから明るく頑張っておられると思いますが、豊中にいたらお手伝いにゆけたのに・・・。
 「本物を感じる会」の記事、楽しく読ませていただいております。まさに東洋哲学の世界ですね。難しいですが、いろいろと考えさせられます。豊中にいたら催しに参加できたのにに、とても残念です。・・・
 ・・・何か援助できることがありましたら、どうぞお申し出くださいね。早く神戸の町が再興できるよう祈っています。            1995・3・1
 


 山県 良江       屋久島天然村

 人を愛する時、自分も、人も浄化される。

 yukiさんのお手紙の文章の流れの中には、慈愛がみちていて、本当に感動されます。しか
救護活動には慈愛だけでは真の幸せには導けないかと思います。
 生物はすべて大宇宙の陰と陽の大調和で生かされているように、巌と愛の二道のバランスが大切でしょう。

 yukiさんも21世紀に向けて大きくジャンプしていられるように、私も精進努力して、自分の使命、助産婦を現役で役を果たしています。そして、自然分娩の探究も旺盛です。
・・・・  ・・
 
21世紀は精神世界だと言われています。yukiさんのような正しい人を小グループで留めておいてはもっ体ない。yukiさん国会議員に出てください。それは本当です。・・・・・・

・・・妹と久しぶりに会った時、姉さん若いねと言われました。誰が若いネ〜、姉さんじゃがね〜80才とは思えないよと。自分が80才ということを忘れていました。・・・・

・・太陽が美しく夕日となり輝きながら海に沈んでゆくような人生を終えたい。

 ご多忙とはぞんじますが、私は6月に80才の誕生日を迎えます。お祝いには是非ご出席下さいますよう今からお願いしておきます。・・・・・     1995・3月


 中尾 知子       奈良市
 通信を有難うございました。
 地震報告の「神の戸は揺さぶられた、今まさに天の岩戸が開かれんとす」には勇気づけられました。何が勇気づけられたかと言いますと、日本人であることの誇りを持てたことです。現代、うやむやとなっているあいまいな日本人の心こそ大切なんだということをきちんと教えて下さり、素晴らしい日本の心に誇りを持てたことです。私のつたない表現というか文章ではありますが、率直な感想を読んでみて下さい。

 そして今日の地震報告第2弾、沈黙という詩も素晴らしいのですが、被災地からの現実の報告こそ現実なのでしょう。
 そして、裏について・・・これこそ「本物を感じる会」のお話、感じたままなんでしょうね。まさに本物って感じです。

 新年号の “光” は私の魂を揺さぶりました。詩がとても素晴らしいですし、話の内容もとても光に満ち満ちていて、心が充電されるっていうか教えられるっていうか、心の目が開かれるようで、心に明かりというか光が見い出される思いです。「悪夢」もとても不思議な夢をみられたのですね。「光」と「悪夢」で明暗くっきりっていう感じです。

 「本物を考える会」の通信を拝読させて頂いて思うことは私自身も心の目を開き、心や魂を磨かなければ、自然に帰らねばっていう思いです。アトピー編では砂糖のこわさを改めて思いしり、私自身、砂糖がよくないことだと知りながらも、多少中毒気味でなかなかやめられずにケーキやお菓子などの甘いものの誘惑に勝てずにいることは、私の心も体も自分自身で弱くしてしまっているのでしょう。早く、きちんとした玄米菜食で(そういってもなかなかきちんとは出来ないものの、70、80%は守りたいものです)もっと日常働かなければと思っています。

 怠け心もさることながら、人の2、3倍もかかって活動している私。家のことで精一杯の専業主婦の私なのです。よく眠り、よく食べ、よく一服し、ここまでまあ難なくこれたのです。

 それにしても、yukiさんの書いて下さる「本物を感じる会」のお話はとても分かりやすいです。そして、スーッと溶けこんでいけるのです。話の中身が魂が喜んでくれるというか魂に響くのです。多分話の中身が光り輝いているからでしょう。これからも「本物を感じる会」の本物を感じる心というかお話を伺いたいです。素晴らしい詩に心が踊るというか打たれれたいです。そして本物を教えて頂きたいというか導いて頂けたら、私も本物を感じて行きたいと願っています。私のきたんのない感想です。どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
        1995・3・12
  

   工原 美季子     吹田市

 通信文届きました。震災以来ずっと気になっていましたが、いったい自分に何ができるのか悩み続け、今日に至ってしまいました。 ご無事で何よりです。

 実は1月12日に急に思いたち、講座に参加しようと六甲迄行き、篠原町中歩きまわり福祉センターがついに見つからず帰ってきました。何人もの人に道をきき、そのひとりひとりの顔が浮かび、心が痛みました。
 あまり知人のいない私ですらこうなのですから、友人、知人、親、兄弟のいる方達の辛さは大変なことでしょう。

 何故、急に思いたったのかと言うと、新年号の通信が、ひとつひとつ、まさに今自分が考えていたそのものだったからです。

 何度か手紙を書き、出せずじまいでした。何といっていいのか、わからなくなってしまったからです。 というか「何かできることがあったら・・」という自信がなくなっていたからです。その前に一度、西宮と門戸厄神までいってボランティアをしたのですが、いったい役に立ったのやら。ボランティアも多く、仕事を奪い合うといった感じでした。

 それと、自分の中に与える側の優越感も少なからず感じてしまいました。
 そんなんで、二度目は行けず仕舞ですが、それでも消化不良状態をいつまでも引きずっています。毎日、新聞をながめては出来ることを考えていますが、行動に移せない自分をなさけなく思います。
 アレルギー、アトピーの子らをゆっくりお風呂に入れてあげたいとも思うのですが・・・・只、夫の「ボランティアするっていうなら相手を選べないんだぞ」という言葉にまたしてもひるんでしまって。

 大阪では、豊中の一部を除いて、当たり前のように食べて、学校、会社へ行って、お風呂に入ってという生活がつづいています。
 水屋やタンスが倒れた家もたくさんありましたが、やはりまるで違っています。
 少しずつ風化しつつあるのを感じます。私はもう少し考えつづけようと思います。
yukiさんに何か出来ることがあれば出来る限りするつもりです。何かありましたら連絡下さい。

 そして、今回の通信文ですが、私達大阪に住む者にとっては、こんなに近くにありながらも、やはり、現実に目の前は普通に過ぎ、一度や二度、神戸に行っても、この天国の様な世界に戻る事で、又、我にもどってしまう。

 同じように痛みをもって感じることは、すごく難しく思います。悲しいですが。
それと、地震がもし、人間の手でおこすことが可能なら・・・と考えると空恐ろしくなりました。今迄、思いもよりませんでした。いったい人間はどこに向かっているのでしょうか。
            
 今、「人間を幸福にしない日本というシステム」という本を読んでいます。
 難しくて、全部は理解出来ませんでしたが、同じ様に裏表の世界が、人間の中にあり、一部のエリートに多くの市民が操られているような事が書いてありました。
         
 子供から大人まで、「本当に幸せそう」な人ってあまり見かけませんね。私自身のこともこの日本というシステムの中で、個人というよりも全搬的な不幸感なのかもしれません。
日本の中にいると日本という国の異常さが、全くみえないのかもしれませんね。
           
 私自身の事ですが、今現在やっている「穀菜食料理教室」を細々とでも続けるべきか、まとまったお金になるパート労働者になるか悩んでいたところでした。
            
 タイミングがいつもいいので不思議です。次回の通信文楽しみにしています。     
・・・・    ・・・                  1995 3月



  小野田 正美     宝塚市
 ・・・・私の家は半壊状態となったため、建築をやりなおす方向で、バタバタとしています。・・・・家づくりと私育ての一年になりそうだなと予感しています。地震では、家族が寝室に使っている部屋には何もおいてなかったことが幸いして、全くの無傷でした。隣の部屋はメチャメチャでこの部屋にいたら危なかったとゾッとしたことを覚えています。
                 
 地震は “終わりの始まり” という人も私のまわりにもいます。私は “始まりの始まり” にしたい。そのためにも、原発のこと、街なみのこと、避難所のこと、私なりに動いていければと考えています。ここで何を始めるか、に子供達の未来が明るいものになるかどうかがかかっていると思います。・・・・           1995・3・13
       


  佐藤 玄輝      青森市

●青森は現在積雪80cm 小学校ではスキー教室も始まっております。スキーも用意しておきます。小学校迄歩いて15分、中学校まで5分です。・・・   ・・・子供たちにつらい思い出でなく、プラス思考で、将来の大きな財産になる事を心からお祈りします。
●私共親子5人年末から年頭にかけて、和歌山県田辺市のほうへ行っておりました。28日に八戸市の地震があり洋上(フェリー)でニュースを聞き、帰りの1月6日に又洋上で地震があり、地元青森の状態を心配しておりましたが、何事もなく安堵しておりました。

 そして、1月17日車で通勤途中、大阪の方の地震です。ニュースを聞いていたら最初の被害はさほど大きく報道されませんでしたが、時間がたつにつれて大惨事の大地震です。
 私共は遠くにおりボランティア活動はできませんが、いろんな形での活動はできると思い、私達の仲間達の子供達の面倒でもと話あっていた次弟です。  

 福島のパスの橋本さんの機関誌でも紹介もありましたが、やはり大きな単位となると非常につらいものもあるし、私達家族でできる範囲でやれるのでしたらお世話させて下さい。
 まだyukiさんご家族は不幸中の幸いでしたね。どうぞ安心してください。状態をみてお姉さんの方もよこして下さい。

●青森の方も3月下旬雪どけが始まっております。日々暖かい日が続き、裏の公園の雪も日毎に積厚も減ってきております。
                                  
 mちゃんも学校そしてスキー、そしておやつづくりと彼女自身も一生懸命頑張っており、私達も安心して彼女から学ばされている状態です。・・・・ご安心下さい。
                                      
 地震報告読みました。マスコミでは伝えられない部分をかい間みて、とても参考になりました。一日も早く神戸市民の方達が、平常の生活にもどられることを心からお祈りします。
・・・・・                              
                          

  西山 知洋       四条畷市

 このあいだは、大変おせわになりました。あの時の体験は遊学場の他の子供達にも大きな影響を与えています。3月2日には日帰りで兵庫区へも行ってきました。
                         
遊学場通信より・・・・
 ●神戸の救援活動に行ってきました。2月13・14日に悠くん(小6)と侑嗣くん(中3)とおっちゃんの3人が、自分たちにも何かできることをやりたいという強い思いをもって神戸の被災地でボランティア活動をしてきました。・・・・
                            
 初日は、yukiさん(灘区在住、おっちゃんの友人)運転のワゴン車で大まかな状況をつかみました。はじめにボランティア活動の拠点のひとつ″元気村″に行って、様子を見聞し、登録をしました。(傷害保健の関係もある) 次に灘区役所横のボランティアセンターに行って、活動状況を聞きました。最後にある中学校へ行って、避難所生活をしている人々の様子をみました。その晩はyukiさん宅に泊めていただきました。夜には建築家の奥村さんも来ていろいろと語り合いました。・・・・
                   
 翌日は、yukiさんとこのAくんとmちゃんも一緒にまず右翼(暴力団)が″炊きだし″をやっているところをちらっとみて、郵パックで送られてきた救援物資の仕分けと配送への積みだしをしている福祉交流センターに行きました。

・・・・次に区役所横のボランティアセンターへ行き・・・・″元気村″に向かいました。

・・・・歩いたほうが震災の状況がよく掴めるという理由から歩きました。

大通りはずいぶんと整備されていましたが、一筋二筋路地に入ると、破壊された家々やがれきが、そこここに被災直後をほうふつとさせる状況のまま放置されているのが目に入りました。
                             
 炊きだしのおでんとごはんで腹ごしらえをした後、午後一時、元気村本部前に集合しました。そしていよいよ災害復旧隊として出発しようとした時、「誰か車の運転できる人いませんか」と声がかかりました。

おっちゃんが思わず「ハイ」と手をあげました。そして、大学の落語研究会の慰問団の人達を車で運び、一緒に聞いて楽しみました。・・・・


  鈴木 光治     西宮市              
 この度の震災では、心よりお見舞い申し上げます。今までに経験したことのない大きな地震でしたが、皆様も、そしてお住まいのほうはご無事でしょうか。・・・ ・・お正月には通信をありがとう。

 ・・・私の方は大きな被害もなく、ライフラインも既に復旧しました。もし何かお役にたてることがあれば、遠慮なく! 土日でしたらお手伝いできます。機動力のある二輪があります。・・・・                    1995・3・6 

  佐藤 文正     橿原市
 先ずは大震災のお見舞いを申し上げます。その最中からお立ち上がりになられ、指導者のご自覚をもってご奮闘のお心映えに頭が下がります。

従来の御履歴、又特異のすぐれさせられた御資質にたぐい希なる敬意を表します。

貴誌3月号には鋭い眼光を放って地球の裏側をも見通される御力は頼もしいです。・・・・・             

 (助言まで)それぞれにお役目が与えられ働かされているんですね。

自信をもってお遊ばし下さい。真素直な清々しい心耳が目が本統の本物を童心の鋭さで見抜くことができる。

面白い世の中が開顕されて岩戸が開かれている初光りを仰ぎませう。

日本書紀の神功記には、まさに錦地の西宮廣田國、神戸活田國・長田國にお鎮まりに相成られた大神々事が明記されています。・・・・・            平成7年3月11日


  桑原 司武     京都市

 先日は地震報告お送っていただき、誠に有難うございます。・・・・・私の魂にとっても心を洗い、地球人としての自覚、宇宙意識を目指しております。

yuki様は、ご自分なりの魂の役目を自覚して、活動しておられるように思います。

yuki様をもっと知るためにも通信を読みたいと思いますので、年会費お送り致します。
よろしくお願い申しあげます。・・・
                                   1995・3・10

  塩谷 真理子     藤沢市
 ・・・ともあれ、yuki.I 家の皆様がご無事でいられた事、本当に何よりのことと存じます。

 当時はテレビ、ラジオ新聞で見聞する事、おそらくその何十倍の被害だろうとハラハラしながら見ているだけでした。主人の親類も皆、無事であった事などホットしているところです。
                      
 お便りをいただき「ああ、よかった」と思いながら・・・ ・・震災にめげず、いろいろな面でご活躍のyukiさんにエールを送るなどおこがましいですね。

お体に気をつけて、皆様のいい相談相手になってあげて下さいね。・・・・ボランティア活動のガソリン代のたしにしていただけたら幸いです。・・・・・ようやく春の気配が身辺にただよい始めました。
         花咲く春を待ちつつ。・・・            1995・3・17


 
<ご挨拶>        
 皆様から、沢山の励ましのお手紙をいただきましたこと心から御礼申しあげます。

ここにご紹介できなかった方々にもこころからお礼申し上げます。

みなさまの励ましのお手紙が、義捐金や品物も、暖かい支援のこころとともに、しっかりとつたわってまいりました。

 それは、被災地のまっただなかにいる私にとって、ボランティアをしている私にとって、どんなにこころ強かったことでしょう。

  又、近い方々はほとんど電話での話で、いろいろと素晴らしい話を聞かせて頂きました。

そして励ましていただきましたこと、本当にうれしかったです。

ここにご紹介させていただきましたお手紙も、とてもうれしくて、のさせていただきました。 
ご了解を得る間のなかった方も一部いらっしゃいますが、どうぞどうぞお許しくださり、一緒に響きあいを分かちあわせてくださいますようお願い申しあげます。
                      
 そして、電話だけでの話でなく、それを皆様がご自分で文章に書いて、さらに心に問うことをなされてはいかがかしらと思われます。

 どうぞ又、お手紙を紹介させてください。
                      
 どうにも、毎日のボランティア活動や用事で忙しくて、肉体的には少々疲れ気味かもしれません。

 ですから、できるだけ朝はやくに山に登り、少なくとも30分はしっかり歩きます。

そして、このごろはこれまで食べたことのないようなヤマザキパンや避難所用の弁当がほとんどです。(このごろは平気でいただいてます!でも本当はこわいよね!)、玄米ももっと真面目に食べなくてはと心しています。
 
 又、自然の中で充電することが私の一番の健康法です。

歩いた後、お日様を拝し、木々のこもれびをみながらポヤーとしているのが一番の幸せ、朝早いと一日が二日あるみたいに充実します。
                       
 3月まで主人も大阪のホテルぐらしでした。

ですから、私も夜もけっこう若者達といっしょに過ごすことが出来てとても幸せでした。

若い人達に気質人間学の助言をしてあげてます。

皆もけっこう「えー、なんであたるのー」と不思議がりながらも、皆素敵な良い子たちばかりですので、素直に助言にうなずいてくれています。

これからの輝く若者達をみながら、21世紀の日本はこんなボランティアにかけつけてくれる子たちが、担ってくれるようになればいいなあと切に願った次弟です。


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