地震報告 第7弾
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地震報告 第7弾! 1995.8.15. YUKI.I
1月から半年を過ぎた8月になっても、まだまだ避難所にもテントにも被災者が多勢残っています。
●テント村の実態
7月から、テントの中は暑い日には摂氏45〜50度になります。
クーラーは電気の容量もあって使えないのです。 赤ちゃんのいる家庭はお向かいの喫茶店に一日中避難しています。
あるテント村では、14世帯のテントのうち4世帯しか仮設住宅にあたりませんでした。
今回の5次の仮設住宅の最終募集は、避難所の解消がねらいだったらしく、テントの方のあたる確率は低かったように思われます。
又、ある避難所では、行政の書類の手落ちで、選考もされなかったという場合もでたと避難所連絡会の方からききました。
●ある初老の足の不自由な方は・・・
ある公園内の地域福祉センターにいた10人には全員仮設住宅にあたりました。
しかし、同じ公園内のテント村で、仮設にあたった方は、ごく一部です。
そのなかで60才代の男の方が一人、むかいのテントには年老いた母親がいます。
そして、私が訪問したおり、役所にあたった仮設住宅をことわりにいくとおっしゃっていました。
というのはテントの近くの自分の土地に10月には家を建てるのだと言って、設計図やその他いろいろとひっぱりだして見せてくれました。
ところが、足が悪いので、とても家を建てる現場に仮設住宅からは通えないので、ことわろうと思っている、と土気色の足をさすりながら話されていました・・
仮設もそんなに遠いところではないのですが、この方の足になってくださる車のボランティアが確保できないととてもこの状況では、仮設に行くことは無理だろうなと思わされました。
しかし、年老いた母親のためにも何とか仮設住宅には入って頂きたいものです。
●テントをはった公園に仮設を建てて下さい
何故、やむおえずテントをはっている公園に相応の仮設を建てて、そのテントの人たちを住まわせてあげれないのでしょうか。
ある公園では、テントに住む人たちをたちのかして、そこに仮設住宅を建てるのに、行政は
「公平をきすため、そのテントの人たちが入れる保証は何もない」と、非情にも言っているのです。
テントの方々は、その場所を動けない様々な事情があるから、やむおえないテント生活でがまんをしているのです。
テントの方々は切実に、自分たちを入れてくれるなら大いに協力する、と言っているのです。
だのに、行政は特別の配慮はできないというのです。
一体、行政って市民のための機関ではないのでしょうか。 市民一人一人のための政治ではないのですか!?
●真の公平とは・・・
欲しい人に相応に与えることこそ、真の公平ではないでしょうか。
一人一人の切実な要望にそってかなえる方向で努力してこそ、本当の公平、本当の平等ではないでしょうか。
これは、教育のことで考えるとよく分かるのではないでしょうか。
現在の画一のおしきせの時間割りの押しつけだけで、一日中を費やしてしまう教育は、本当の意味での教育ではないと私は思っています。
その子の才能や求める事柄、その子自身が興味を持つものに応じて、一人一人に相応の配慮をしてゆけることこそ、その子を真に生かし、又大きく育てる本当の教育といえるものと思うのです。
行政においても同様に、えこひいきでなく、求める者にはかなえてあげ、黙っている人にも、本当はどうしたいのと聞いてあげれる、そんな暖かな政治でこそ、市民一人一人が喜び生かせる政治だと思います。
ですから、私は今、ボランティアをしているのです。
今の政治に求められない細やかさを補えるのは、一人一人の心とふれあい、結びあえるボランティアだと思うのです。
裏の声、心のうち、本音をきけるのがボランティアだと私は思っています。
ですから、雲の中の行政と地上の住民をつなぐものとして、お役にたち、市民の立場で考えそれを、行政にもわかってもらえるようつなぐ役目。
それが、今のボランティアだと思うので、現在も必要な活動を続けているのです。
何故、遠い仮設住宅に入らないのかの、あさってからの大合唱にたいして・・
●仮設は仮設にすぎない
東京でなら、1時間半〜2時間半の通勤などたいした時間ではない、 入居者はあまえている、とよくいわれるところです。
しかし家が倒れ、 所有物もなくなり、家族のものの誰かが亡くなった人もいる家庭の状況では生活をたてなおせるかどうかと考えるだけでもせいいっぱいです。
たとえ、経済的や精神的な無理を推して、ひっこしたとしても仮設住居なのです。
合板一枚で隔てただけの10軒が一棟の長屋ですから、隣の音はつつぬけですし、6畳と4畳半の2部屋だけでは家具のおき場所もありません。
家族がゆっくりとくつろぐどころか、手足をのばして寝る余裕もありません。
とても家族一緒に安心して住める住まいではありません。
●仮設のストレス
異常に狭いことや、長時間の通勤通学、将来の生活や住まいの不安を始め、
我慢をかさねてのストレスからは、心身症、あつれき、争いや病気さえやむなくおきてくるでしょう。
仮設は仮設です。 これまでの家の常識では考えられない住まいです。
隣家との壁も合板一枚、屋根も雨が降ってもやかましくて寝られないトタン板です。
そのトタン屋根との間わずか30cmの間においてある薄っぺらの断熱材も専門家にいわせると何の用もなさない状況・・・。 床下に水はたまり、天井はひわり、電灯も落ちてきて、雨もりもする、そんなところさえあります。
たとえどんなに遠くても、念願のマイホームならば、プライバシーもあって、ゆっくりくつろげる家でしょうから、遠距離通勤もいやされ、家にいることからのストレスなど、とても考えられないでしょう。
しかし、仮設はマイホームではないのです。
仮設住居では、長距離の通勤通学に耐えれるほど人間は強くないだろうなと私には思われるのです。
それまでの地域にあっての仮設でこそ、本当の仮設住居であって、たとえ住まいは仮りの家でも、まずは、安心して、ご近所の同じ顔を見て安心し、又隣近所と相談もしながら、今後の対策を練ろうかという気になれると思われます。
●生活のたてなおしが先
光熱費食費が自前の仮設にも入れない現実
最後の5次募集の前では、仮設住宅にあたっていない人がほとんどでした。なにしろ、まだ3万人近くの人々が避難所にいたわけですから。
しかし、地元にいて、これまでの商売をもう一度元どおりの軌道にのせ、経済的に安心できるようにならなければ、どこであれ仮設に入ろうかという気にならないと断る方も一部いらっしゃいました。
地震以後半年そこそこでは、家族のものを地震で失い、職も失い、商売もできず、生活の
たてなおしのみとおしがまだまだつかない方々が少なくないのです。
今仮設に入居して、何もかも自前になっては、首くくるしかない。 とても生活がなりたたないとして、みとおしのつかない家庭がやむなく避難所に残っている場合もあるのです。
これからが、一人一人の生活の実態を本音をききながら、民生委員に連絡もし、ケースワーカーなど生活保護のケアが必要な方々もでてくることでしょう。
細やかなフォローがなされないと、本当に困っている方は食べるものも十分に食べれず、弱ってしまい、仮設はおば捨て山になってしまうおそれがあります。
●やむなく避難所に残っている人
最終の仮設住宅5次募集の前に避難所に残っている方々は、いくあてのない人、あるいは自力で出てゆく力のない人たちです。
遠い仮設では、とても自力で出てゆくことのできない人たちです。 自力で出れる人はもうとっくに出ていますし、遠くの仮設に無理してでも移っています。
出てゆくあても金も仕事もある人は、とっくに出ました。
仕事もあって、生活のみとおしのある方は、一時狭い社宅に入ったり、一時高い賃貸住宅にはいっても、会社の補助もあったりして、それなりに我慢のしようも、仕事もあるから将来への希望ももてるでしょう。
今避難所に残っている人のほとんどは、甘えてでれないのでなく、やむなく残っている人たちです。
実際問題として、近場を希望したのに倍率がたかくて、あたらなかった人たちがほとんどです。
あたったのに行ってないという場合は、特別な場合のごく一部の方です。
例えば、リューマチの重い方が、せっかくポートアイランドの仮設にあたったのですが、横断歩道が渡りきれないという広い道を前にして、断らざるをえない場合がありました。
そんな場合、ポーアイに来たい人と入れ替えできるように配慮をしてくれればよいのに、それはできませんでした。
そんな一人一人の方々のさまざまな事情をわかろうとせず、ごくごく一部の不心得ものだけをクローズアップしているようです。(その不心得ものとかの話を直接聞いたのでしょうか、どうして不心得なのでしょう。 あるいは行政がきちんと不心得だとその方に伝えたのですか、何も伝えずによそにいいあっているのでは、なんのことやら、それこそ行政がはっきりとさせるべきことでしょう)
そして、避難所にやむなく残っている他の多くの方々まで悪者よばわりする姿勢は、弱者の気持ちのわからぬ強者の論理といわれてもしかたないと私には,思われます。
そういう一部だけにスポットをあてて、行政の思惑にそった世論を高めたり、マスコミもお先棒をかついだり、扇動するような報道の仕方については、十分に自重していただきたいと思われます。
●土地の投機はやめよう
だいたい、あさっての山のむこうの方のあちこちに大量に仮設住宅を建てていったのは、行政なのです。
これで、仮設がなくなった時には、又宅地がうむをいわせず増えるというものです。
心の奥底に、土地投機の気持ちがなかった、とはいえないのではないですか。
どこからか、老人用おば捨て施設の用地確保の心配がなくなったという声が聞こえてきます。
行政にとっては、山林・田畑より住宅地の方が数倍もうかります。
又、本来、神戸市は、戦後のばかみたいに安い時に、どんどん山野を買い占めました。
そして、そのただ同然のところをけずって、又海をうめたてるという安あがりのことばかりをして、私などからいわせれば、ぼろもうけのあぶく銭で、この近代都市を作ってきたわけです。
ある意味では、運の良い時流にのった経営をしてきたともいえるでしょう。
しかし、山野や海をそのように恐れもなくどんどんと削って、埋め立ててきたこと。
そこには、何でも人間の思うがままにできるという奢りや、行き過ぎがなかったでしょうか。
人間も自然の一部にすぎないという根本のところの考えにたっていなければ、必ずバランスは崩れて、破綻するのです。
この大震災こそ、その破綻だと私は思っています。(詳しくは4月号の地震報告をお読みください)
市民どうしの自助努力の方策をいろいろと建てて、行政からの補助をしっかりしてほしい
●賃貸用住宅建築に特別援助を・・・
被災地区で、集合住宅建設や賃貸用の家屋を建てようとする大家に大変に有利な資金の援助をして、早急に賃貸用住宅建設を促進していただきたい。
例えば、ワンフロアーを賃貸にする3階建て住宅などに大幅な資金の援助や家賃をあてにしてのローンを組むことも援助してほしいこと。
たとえ、被災地以外でも、この狭い都会では、賃貸用の住宅を建てる場合の優遇措置は十分に考えられてしかるべきだと思われる。
持ち家の一戸建ての方々が家を立て直す際「「3階建てを大いに奨励」」すること。
基礎のしっかりした3階建ては今回の地震にもほとんど影響を受けませんでした。
だから、建物としても頑丈ではないでしょうか。
そして、ワンフロアーをこの震災で家のない方々に貸すよう協力をする家庭には、かなりの優遇措置がとられるなどの方策をとる。
ただで貸すわけではないので、その家賃をローンの支払いにあてれるようにできるわけですから、建てたほうも助かるわけです。
そして、高齢で、ローンの支払い能力がないとみなされる持ち家の方もワンフロアーを賃貸にすることで、支払いもできるわけです。
ですから、そのような方々には行政が指導して、ローンが組めるようにして、ローンの利息も半分くらいにできたらいいですね。
そうすれば、今回高齢であって立て直す自力のない持ち家の壊れた方や、立て直す気力もお金もないご高齢の大家さんたちも安心して、自分の住まいもふくむ、賃貸住宅を建てれるわけです。
どんどん、町に賃貸用住宅がふえれば、仮設の方々も早く帰ってこれるわけです。
ですから、賃貸用住居を建てることは、被災者の援助にもなり、行政にも協力していただけたということで、それにみあう十分な資金援助がなされれば、三方とも喜びあえるわけです。
●家賃の補助をしてください
地震以後家賃は高騰しています。 ボランティアでまわっていますと、震災前までの分の差額のうちのいくらかでも資金援助をしてほしいとの声が多いです。
誰も好んでプライバシーもない、神経症にもなりかねない、人としての尊厳のない避難所暮らしを好んでしているわけではありません。
誰しも我慢に我慢を重ねています。 又、やむなく順応したかのように振る舞っている方がほとんどです。
賃貸用住居をみると、震災以前は2DKで3〜6・7万円であったものが、今では、10万以下がほとんどありません。
ちょっと家族で住もうとすると10数万から20万円近くまでを覚悟せねばなりません。
雇用も不安定で、夫の仕事がOKでも奥さんのパートが、できない震災後の状況では、とても高い家賃の住居に入れません。
家賃の補助をしてほしいという声を沢山ききます。 なんとかならないものでしょうか。
行政は民間の賃貸用マンションの家賃補助をするといいました。
しかし、それは、一件だけ、長田区の20軒そこそこの物件ひとつだけだったと私は記憶しています。 ひとつだけでもしておけばしたことになるのでしょうか。
そういう魂胆にさえ思われるほど全くの無策のように私には思われます。
●あるものを有効利用する知恵をしぼって・
じつは、住居がないないといいながら、私の知っているだけでも、宝塚や芦屋や六甲の高級マンションはガラ空きのままなのです。
不動産屋も長年、空き物件を持ったままもてあましています。
そういう″億ション″をこの非常事態とて行政が借り上げて、広い広い室内を共同住宅にしてはいかがでしょうか。
もちろん、住む人も相応の家賃も払う形で、皆がそれぞれ折りあって、三方一両損という気持ちで、しかし、三方とも助かるという、そんな皆で助けあう。
そういう助けあいの気持ちを過去の日本人はもちあわせていたのではないでしょうか。
今は、忘れていた大事なものを思い出す時なのです。 心の奥深く思いおこして、心に沢山着ていたものを全て脱ぎ捨てる時だと私はおもうのです。
●とらわれない新しい意識を持って
遠い場所に一戸につき250万円の仮設長屋をたてるなら、4戸につき、1千万円の予算が出ているわけですから、頭金300万円、家賃30万円でも2年間をクリアできるわけです。
又入居者が、3・4万円でも払うなら、2年が4年でも住めるわけですから、それなりにゆっくりと生活のたてなおしができるわけです。
北欧のケアハウスの先取りです。「やはり神戸、ハイカラなことするわ」と、世界の皆が思ってくれるようなことをどんどんしてほしいものです。
不動産屋だって、一度貸して中古になれば、元の億ションでなく、大幅に値をさげれるので、売りやすくなると思うのです。
バブルの時期の住宅の高騰をいつまでもひきずっているわけにはいかないでしょうに。
地震で、全ては覆され、覆いがとられました。
億ションにエリートさんだけ住まなくても、もっと上下いり交じって、心を広くして、今あるものを十分に利用しあうことが必要だと私には思われます。
今あるものを生かす、そういう気持ちが、物だけでなく、人、一人一人の気持ちを尊重しあう、心と心で理解しあえるそんな社会になっていけるのではないだろうかと私には思われるのです。
それこそ、本来、人に上下はないのです。 又、違うところから学びあえるのです。
傲慢で、自分が上だと思っていると、聞こえなくなります。
誰しも謙虚でなくては、自分のたりないところに気づけません。
ましてや、これまで我がもの顔に来た人は、それこそ、ドーンと下にはいつくばってそこから全てをみなければならないと私には思われるのです。
●2千億円の救援金の使い道をガラスばりに・・・
2000億円の震災援助、救援金の使い道をもっと公開し、ガラスばりにしてほしい。
公共の費用を使っての震災用の特別資金もその使い道が妥当であるか否か、もっと公開していただきたいものです。
たとえば、神戸の中央郵便局がつぶれました。
そして、三の宮の一等地の広い広い敷地を贅沢に使って、平屋の体育館みたいな仮設をズラっと並べて建てています。
そして、なんと、そこは″神鋼″の土地を月に3千万円近い値でかりているのだとききました!!!そんなべらぼうな!!
一年に3億5千万円、中央郵便局の改修は一年ではすまないでしょう。
″神鋼″はホクホクかもしれませんが、もっと方策はたたなかったのでしょうか。
こんなことだから、行政は一部大手企業やゼネコン側と癒着しているといわれかねないのです。
市民の税金を使って、一部のものたちだけに震災太りをさせているといわれるのです。
一時のことですから神戸大や神戸外大の運動場なりの国有地や官有地にたてる方策、 あるいは、ポーアイなど震災の影響で、空きテナントだらけでビル関連業者も困っている、そんな空きビルを借りてあげて利用し、民間の援助をするとか今あるものを有効に使うことを考えなかったのでしょうか。
どこで、義捐金や税金の全くの無駄使いをされていることか!
議員さんたちの目もどこをみているのでしょうか?
● 行政もシェイプアップを
もっと節約をモットーにする方策はなかったのでしょうか。
仮設住宅の人に無理矢理、狭いなかに入っていただいてるのに、公けもこれを機に大いにシェイプアップしてはいかが
でしょうか。
例えば、膨大な資料類はコンピューターにうちこんで、どんどん持ち物を少なくすればよいわけです。
又市民にもコンピューターで行政の内容が検索できるように、分かりやすくデータを分類し、引き出せるようにすればよいわけです。
これは、あたりまえの情報公開につながるものです。
そういうコンピューターにうちこめる人なども、パート雇用ができるわけです。
今後のこともみて、前むきの方向性でいろいろ市民の知恵やアイデアをきいてほしいものと思われます。
●行政は公僕です情報公開があたりまえです
今、情報公開について、どうとか、こうとか文句いってしたがらない人たちは、自分たちが公明正大に対応していないからじゃないでしょうか。
自分のしていることに自信がないのですか。 たとえ、これまでに悪習があったとしても反省をして、過去の悪慣習は過去のこととして、今後しないよう、できないような方策をたてていき、行政ドグマのよくないものはどんどん捨てていけばいいのですから。
人間、三人よれば文珠の知恵、行政サイドでだけ考えるから、市民のための政治なのに、市民のためでなくなるのです。
又、議員は何をしとんのやといいたくなるのですが、それは、今後、震災後に議員になられた方々の動向を十分に追っていきたいものと思われます。
かごの中の行政や官僚がクーラーのきいた中で、デスクワークで考えるものと、市民が地に足のついた暑いテントや仮設の中で汗出しながらの目線で考えることは自ずとちがってくることでしょう。
市民の声を知恵を願いを思いを十分に聴いて、共感して、検討していって頂きたいと思います。
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