わたしの執着
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その時のわたしの場合の“執着”とは、
“いまからでもなにか認められたい!”というそんな
おき火のような、燃えたりないくすぶるような思いだったでしょうか。
そして、その重い思いを、紙に書き、みなで焚き火して燃やし、
澄み切った青空に 煙となって消え去りました。
だれしも、自分を認めて欲しいという気持ちがありますね。
それは生存本能ともいえるものかもしれません。
赤ちゃんは、ここにいるよ、おっぱいちょうだい、世話してちょうだい
と声をからして泣いて訴えます.
大きくなってもたがいの存在を求め探しあっているでしょう。
大人になっても・・・とくに主婦は、
日々家の中でひたすら、家事育児に奉仕する毎日ですから、
表立って認めてもらえるというものではないでしょう。
自分で自分の評価をし、周囲の人間関係で納得して
こころ慰めるしかないともいえましょう。
ですから、主婦になる前に自分というものを十分に発散できなかった人とか、
納得して主婦という立場に入れなかった人は、おうおうにして、
社会的な認知欲求を代理として子どもや夫に求めて充足したくなるともいえましょう。
社会的なところも大切なことですが、本来、
外との関係より大事なのは、自分の内から沸いてくるもの、
自分の魂が納得するものではないでしょうか。
いつも自分自身のこころの成長にとって大事なもの、魂の喜びに向かうもの、
よりすばらしいものを求めて、純粋に今を大事に大切に歩んでいく
そのようにしていれば十分に充実して幸せだなと感じています.
そして、欲望がふっと消えたところに、
機会はおのずから現れるように、わたしはそのように感じています.
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