ゆきちゃんの世界
  * * * 精神世界 * * *
あまのじゃく

>懐疑論,不可知論様々ありそうですね。
>仏陀も「神」についてはうんぬんしなかった。
>ある日あるオヤジが仏陀のところに来て「俺は神を信じる」と言うと、
>仏陀は「神はいない」と言ったそうです。次の日?今度は女将が
>「あたしゃ、神なんて無いと思う」と言って来ましたが、
>仏陀は「ある」と言われた。更に別の日に学者が「神の存在は不可知である」
>と言って来ました。これも仏陀は否定された。
>この一部始終を見ていたアナンダは激怒して仏陀に詰め寄ったそうです。
>「仏陀よ。なんてこと、言われるのですか!?」
>この答えは、皆さんで考えてください。(^^)

おもしろいですね。こんなお話があるんですか!
このアナンダさんを怒らした仏陀の様子をわたしから言わせてもらうなら、

“安易に信じ込むな まず全てを疑ってかかれ”ということでしょうか。

まさに世の中全てそれだと思うのですね。
自分で一から考え検証してゆこうというのが基本でしょうね。

たいていのひとは、人の言うなりや自分で見聞きしないままで信じこんでしまうことが
多いようですね。

それぞれの人間の考え方見方なんて、それぞれに一方的でかたよっているものなんですよ。

このわたしとて・・・まだまだそうでしょうが。
でも、今は人間それであたりまえなんだから、
という受容というか許容量はかなりあるだろうなとは思っていますがね。

全て思いの裏をよんでみよっかってのもあながちうそでもない。
決して簡単に信じ込むなってことでしょうか。

正と聞けば、反を求めよ!・・・そして自分であたって消化し、
昇華されて、アウフヘ−ベン「合」だなんて、
昔誰かが言ってましたよね。

と、この正反と陰陽とはまたべつものですが、
そこのところが西洋の人は分かっていませんね。

そういえば、わたしは小さい頃から
こういえば、ああいうで、相手の考えをそのまま
はい、そうですかなんて聞くような素直じゃなかったですね。
いいことは素直にみとめていたと思いますがね.

ただし、婚家で周りが針のむしろの時は
スナオスナオを自分の念仏にしておりましたね。
悪く考えるとドツボにはまりますからね。

まず、相手の言うところ思うところを
そうなんですね・・・と、OKにする・・・
相手の気持ちをわかってあげる・・・そういうところを
しっかりと学ばせていただきましたね。

でも、やはりおかしいってことは勿論あるんですがね。
理解しがたいというのは背景にいろいろあるようですね。
   
今 なまいきな娘なんぞが、こういえば、ああいうので、
ふむふむなかなかみどころあるなと・・・
ただのあまのじゃかもという懸念もあれりますがね。

ただ、無色透明でかがやきを発しているか、何色かの輝きがなのか、
何色でくぐもっているのか、と、色々な思いや迷いの着物をきこんでいのが・・・
そういうあたりは大変に気になるところですね。

だって、同じ人間なのにいろいろと囚われて不幸だなんて
嘆いておられるのって周囲にも伝わってきていやじゃないですか?


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