ゆきちゃんの世界
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生老病死

生き、老い、病み、死ぬ・・・これらは、それは、一般的には苦しみと
受け取られていますが,はたして、そうでしょうか。

わたしの思うには、肉体もつ身のにとって、それは全くあたりまえのことでございます。 
それを苦しみと思われるのは、一般的に若さ、健康、死にたくない、
などのことがらに囚われてすぎているからじゃないでしょうか。  


老いることは、そんなに苦しいことでしょうか?

苦しいとすれば、それは比較しているからじゃないでしょうか、
若い頃の自分とか他のものと・・・、体のうごきがままならなくなったこと、
しかし、かたつむりならかたつむりとして、ありのままのご自分を受け入れることができたら、
苦しみにはならないんじゃないでしょうか。

今の自分をありのままに受け入れられないところから、苦しみができてくるのではないでしょうか。

わたしも、もう若いとはいえませんし、昔できていたことが、今となってはできないことも多いです。

しかし、それは、あたりまえのことだと思っていますから、苦しみではないです。

また入れ物である体を鍛えることを怠っていたツケだと、自覚しております。


病むこと、これとて、年がいきますと、あちこちパイプも詰まってまいりましょう。

昔のように効率よくはいきませんし、不完全燃焼もしもえないゴミもたまってきます。 

病を得ることは、そこに問題が出てきたと、自覚できること、
即ち治癒力を発揮はじめている状況であるともいえるとわたしは解釈しております。


痛みとて、体がなおそうとするから、そこに炎症がおこり、新陳代謝がおこり、
熱を持ち痛むから、水をためて冷やそうとしていると思われるのです。
治癒力が働くからこそ、痛みも出てくるともいえましょう。
痛みで患部を教えてくれているわけですから、その信号である痛みだけを取り去っても
対症療法なので、なんの解決にもならないといえましょう。
元をなおさなくては、おなじことの繰り返しです。

病むことで、それ以上の体の暴走をふせぎ、静かに、休んで,回復するように、
体が自覚と反省を求めているのです、ありがたいことです。

熱も熱をあげることによって、体の新陳代謝をよくして、
病気を克服しようと体が事故治癒力で頑張っていますのに、
これに熱さましを服用することで、かえって混乱させて体の抵抗力を弱めてしまうのです。

下痢に下痢止めがこれもまたバカなこととわかりますでしょう。


死とて、わたしにとって、<死>は<生>と一対のものととらえていますから、

いつも、生と死背中合わせであることを自覚しているつもりです。

そして、陰陽とおなじく、生と死も拮抗しております。 
  
細胞レベルでは、常に死と生とが同時に起こっているといえましょう。
すなわち、新陳代謝をくりかえしておりますから、死にながら生きておるのが、
このいまある生だとわたしは思っています。

そして、いわゆる死とて、この魂の入れ物である肉体の<死>。 

わたしは、幻と思われようとも、現実にしかと目をあけての、
頭頂よりのこのわたし自身意識の離脱を体験しておりますから、

同様に、肉体の<死>に動ずることはないようにわたしにはかんじられるのです。

この体と同居しております、わたし自身の意識はそのように解釈しています。


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