ゆきちゃんの世界
  * * * 旅 * * *
沖縄

1999.11.24


さきにわたしのつたないポエム<沖縄に誓う「改訂」>をのせました。
けれどあれは、戦争のなんたるかをまだしらない、
遠くからの感傷だったと今では思われるのです。



沖縄の人の心から 恨みも悲しみも
まだ過ぎ去ってはいないのではないでしょうか。

許しを知った人は、いかほどいらっしゃるでしょうか。

しかし、多くのいのちの歌 喜びの歌はそこここから聞こてくるようです。

空に海に散った沢山のいのちは、もう自然のなかに溶けこんでいらっしゃるように
私には思われます。

そして、それはより大きな生命の合唱となって
  甦り、響いてくるようです。


* * * ひめゆりの塔に参拝してきました。 * * *

ひめゆりの塔     219柱

他の個所にもなくなった方々の慰霊塔がたっているそうです。
いずれも高等女学校の生徒や職員の方々です。

白梅の塔          127柱
ずいせんの塔         49柱
デイゴの塔           59柱
なごらん慰霊の塔      25柱
積徳高等女学校慰霊の塔 66柱


* * * ひめゆりの壕 * * *
   
ひめゆり平和記念資料館のなかに壕(ガマ)の底から見上げるジオラマがありました。
地下2、3階にもなっている深い天然の洞窟です。
こんな真っ暗な穴の中でガス爆弾の攻撃を受けて、
死んでいかねばならなかった若い乙女たちのことを思うと、
戦争とはなんと残酷で無惨なものであるか、無念でなりません。



戦前、戦時の教育にしろ、人の思想の誤謬に、エゴの陥穽に気づかぬ情けなさに、
人間としてのたしなみなど持っておれない軍属の非情さと、無知蒙昧ぶりに、
心底からみぶるいしました。

わたしが、その場にいても同様にまきこまれるしかなかったかもしれない、
傲慢な権力の恐ろしさに対し、生命をかけて闘った人たちもつぎつぎと殺されるしかなかった。
なんと戦争とは、人としての当たり前の感性を押しつぶし、
平然と狂気へとおいやるものなのか。

その亡くなった学徒たちの母、父、兄弟の思いを考えると、
本土が沖縄の方々に強いた犠牲は、今なお沖縄の人々の心に辛く切ない思いとともに、
許せない憤りが、まだまだあるのではないだろうかと、私には感じられました。

ひめゆり平和祈念資料館には、生徒たちの証言が大きなノ−トになって
読めるようにしてありました。
次々と読みながら、涙があふれてとまりませんでした。
その証言集を買ってきました。
そこには、無惨な戦闘の様子がなまなましく書かれてあります。


* * * ひめゆりの塔近くにさいていたハイビスカス * * *



自然はただ無心に美しい花を咲かせる。
人もただ無心にそうできたらいいのに。
動物は、テリトリ−をもって、そこにはいってきたものを敵とみなし攻撃する。
人間は、動物以上によこしまな心をおこし、それ故に他を攻撃しやっつけようとする。

しかし、人間には心をコントロ−ルする術があるにちがいない。

それが、宇宙の摂理を知ることであり、
たがいの違いを理解し楽しむことであり

みなが同じ生命であることがわかることだと私には思われるのです。


* * * 沖縄戦終焉の地 摩文仁の丘 * * *



摩文仁海岸にひとりたたずむ獅子は、あの日のことは今も忘れない。

たくさんの人がうめきながら、
血の海にうかんでいたことを。    

黙して海を見つめる目からは、
涙がしたたり落ちているかのようだ。



* * * 沖縄平和祈念堂 * * *

なかには、県民一体となった寄付金で作られた高さ12mの平和記念像がある。



沖縄独特の堆錦(ついきん)の技法をもちいた漆工芸でしあげられている。

その周囲には、パリ在住の西村計雄画伯の連作 絵画「戦争と平和」が20点ある。
沖縄戦を主題にして、戦争と対照的な美しい自然 をともにとりあげている。


    平和祈念賛歌

 諸人の希い 天地も靡く(なびく) 
    いまみなが里に 争いを捨てん

 見よ白雲の果て 聖なる空に 
     沖縄の風さやかに歌う
                             (わたしは沖縄を琉球としたい)


* * * 嗚呼! * * *



    この悲惨さを目のあたりに知った今のわたしにとって 
    賛歌はすぐには歌えない
    
    まだまだ惨歌ではないかと、私は言いたい
    本当に昭和53年、戦後30数年で、みなは、この賛歌がうたえたのだろうか

    まだ生きておられる父と母の心には、
    ぽっかりと空洞があいたままだろうに
    そこを埋めるものは  他ではかえ難いだろう 
    その悲しみを 忘れてくださいなどとは
    口がさけても言えない

    ただ 許してくださいと 詫びるしかないだろう
    もう二度と この惨禍はおこしはしないと

    恨みをかかえた人は  忘れることも許すことも
    できないに違いない
    思い出せば 悲しみはつのるばかりではないだろうか


    戦争を知る人たちが  寿命をはたして天に帰り
    天国で喜びのなかに  憩うその日まで 
    沖縄の悲劇は終わらないのではないだろうか

    戦後55年ではまだ無理だろう
    100年河清を待つというように
    戦争にけがされ、苦しみ悩まされた心のおりは
    100年もたって ようやく消えてゆくものかもしれない

    ああ 生きることは苦しみのなかを 泳ぐことなのか

    死んで喜びと化すみなら 
    生きてるうちに しっかりと苦しむのも
    またひとつの生き方かもしれない

    大いに悲しみ  苦しみをわかちあおう

    しかし 苦しみの海から 顔をあげ
    喜びもまた味わってほしい
    大いに喜びあって  感謝をともにしよう

    すべては  生きていてこそ できること

    そして本当の喜びを味わえたとき
    許すこともまたできるのではないだろうかと
    私には思えるのです

                           byゆき

   


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