ゆきちゃんの世界
  * * * 旅 * * *
ドイツ ロマンチック街道

* * * 9月27日(金) デュッセルドルフに民族大移動の波 * * *

ドイツのデュッセルドルフに到着。 
飛行機からはるばるバスにのって到着したエアポートは仮設のまま。
しばらく前に爆破されたのだそうだ。
国際便だからかパスポートチェックがきびしい。

別々の列にならんだので、私が荷物をすっかり受け取ってしまっても夫がなかなか出てこない。
すぐ前のイスラム系の男性がとても長くかかったのだそうだ。
たしかにイスラム系の旅行者がかなり調べられる。

空港の出口には出迎えのカードを掲げた色黒の東方系の人たちで
おしあいへしあいすごい混雑。 
レンタカーのハーツまで歩くうちにも、一瞬アラブのどこかに来たのかと思うぐらい
東方系の人がそこここにあふれている。 
まさにこの文明交代時の民族大移動の波をかいまみるようだ。

デュッセルドルフ空港から西のエシュバイラ−(ア−ヘンの近く)に車で向かい、
主人の仕事先の常宿のホテルに入る。      




* * * 9月28日(土) ドイツ・ ア−ヘン * * *

ホテルの朝食は六時半から。まだ暗い。 
さすが肉食の国、朝からミートやハムやソーセージ、乳製品が幾種類もならぶバイキングだ。
パンもいろいろある。しかしサラダはない。
かろうじてトマトのオイルづけ、乾燥野菜や乾燥果物をミルクにひたして食べるがまずい。 
7時になると街のあちらこちらから鐘の音が聞こえる。
ドイツの人は働き者のようだ。


* * * ドイツのタクシーはオールベンツ * * *

ドイツではタクシーがオール黄色のベンツ。
タクシー用ベンツは特に安価だそうだ。
ベンツは日本、特に関西では、ヤーサン専用の左ハンドル仕様のごとくになっているようだ。
ひょっとして、タクシ−用がそのまま輸入され誰かがボロ儲けかしてるかもね。
もちろん大陸は右側通行だから左ハンドルがOK。

夫がいうには、ドイツの車はベンツ、アウディ、BMW、オペル、フォルクスワーゲンなど
いずれもきちんとしたつくりをしているそうだ。
ホテルひとつみても細部まで合理的で無駄がないし、
そこには美しく楽しいセンスも光っているようにわたしには感じられた。
うちのスタインウェイピアノもニューヨークのきらびやかな音でなく、
ドイツのハンブルク製の方で落ちついた音がする。

いよいよ旧西ドイツの東の方、ロマンティク街道めざしてアウトバーンを走る。 
ヒットラーの唯一のヒット作か″アウトバーン″。 
速度制限はなく、走ってみると平均時速は150キロぐらいのようだ。
それも日本の東名高速で90キロ位の体感覚にわたしには思える。 

夫のいねむりしているのを幸いに、平均170キロ位で、直線では200kmも出しながら走る。
爽快だ。
カーブは150キロぐらいが一番心地よく車と一体になって曲がれる。 
BMWの大型車は安定していて安心して走れる。
高速からでもすっと加速できるのは、さすが気持ち良い!


* * * ドイツの秋 * * *

ドイツは今まさに収穫祭の頃、木々は色づき、美しい紅葉の田園風景が広がる。
ハッとするような美しい景色に、あっ、すてき!
描きたいなと創作意欲がかきたてられる。
かえったら絵ばかり描いていたいそんな心境になってしまう。

とんがり屋根の教会の塔のおかげで、どこに村があるかがすぐ分かる。
村や街なみは周囲との色の調和がかんじられて美しい。
日本も個々の制服をそろえるよりもせめて町並みの色あいだけでも
美しい範囲の中でそろえてみてはどうだろう。       



西欧の落ち着いた町並みをみていると
つくづく現代の日本の家の表層的なけばけばしさと町並みのきたなさを嘆きたくなる。 

はたまた京都の一部の街並みのしっとりとした情緒、落ち着いた雰囲気は心地よく思われる。
あるいは日本の田舎の、自然にとけこんだ外に開かれたわらぶき屋根の民家などを思うと、
自然とともに息づいてきた日本の生活と魂のあり方がわたしには感じられるようだ。
古き日本の郷愁と美しさ、それらを今失いつつあるという切なさを感じてしまう。

黒光りする台所の床、塩をまぜた三和土(たたき)から発する地の気、
おくどさんからたちのぼる煙と熱、天井のない高い屋根組み、
和やかないろり端、紫に煙る山々。
そこには自然とともに豊かに生活してきた日本人の魂の原点があるように私には思われる。

現在日本でどんどん建てられている家屋は、西洋的な亜流であって、
とにかく西洋風に住めればけっこうという感じにわたしには思われる。
又日本の狭いなかにてんでバラバラに様々なスタイルの家々がせめぎあっているようすは、
美しい街なみにはほど遠い。
民家などにみられる従来の日本建築の良さは、
やはり千年の伝統のなかで磨かれてきた日本の風土にあった
素晴らしいものではないかと私は思っている。 

日本人としての美的感覚は今のゴタ混ぜ建築や人工的な町の風景からは
決して養われないとつくづく思わされる。 
年いってからでいいから、田舎で昔ながらの日本的な美しい家で、
シンプルライフが楽しめるよう夢みていたい。
それには体をきたえておかなくては・・・いや、オンドルの利用なんかもいいかも・・・。


* * * ロマンティク街道を行く * * *

アウトバーンを走っていると特に美しい中世の城がみえたので見物。
それは、かつての帝国自由都市ドーナウヴェルト、
城と街と周囲の田園とがみごとに調和している。 
ローテンブルクには午後1時到着。



夫は一人で何度もいききした道だけど、今回は寝てる間に″エ−!もう着いたの?″と驚く。
てなわけで、たっぷり神風運転をたんのうした私でした。              

有名な城壁にかこまれた街です。
見事な梁のくみあわせはすじかいが入り楽しい模様をみせている。
一見土壁かしっくいのようにもみえる壁、みごとな大屋根は、
この屋根をかやぶきにしたら白川郷の民家に似ているよう。

いくつもの城壁都市や城砦をゆっくり見てまわりながら南下する。 



街道の標識には、ドイツ語の下にカタカナで″ロマンチック街道″までかいてある。 
日本人観光客用だろう。それだけ極東の日本も西欧見物に大挙押しかけているようだ。 

日本のお城も近年各地で再建されているようだが、本来何百年も保てるものなのに・・・。
特によく壊されたのはどの時期だったのでしょうか。
調べてみるとおもしろそう。 

中世の城をそのままにホテルやレストランなどにも利用しているヨーロッパの様子に比べ、
すぐ壊れてしまう日本の様子には考えさせられてしまいます。
昔から、使い捨てだったのでしょうか。

ちいさなことには細々して、大きなことには恬淡なのかもしれない。 
西洋の城が石づくりという堅ろうさもあるかもしれません。

一度組むとてこでも動かせないという頑丈さが、日本の城とちがっているのでしょうか。
日本の木と土壁の系統は崩しやすいし、燃えすいのかもしれませんね。 
石垣だけは残ったりしてますから。


* * * 大聖堂の ミサ * * *

アウグスブルクについた時はもう夕方、丁度土曜の夜でした。
食事をすませて、大聖堂のミサの聖歌隊をききに行く。
日本では東大寺の天井の高さより高く思える高い高いドーム型のアーチを重ねた聖堂である。



そこに、沢山のろうそくの光とともに荘厳かつ清澄な音が響きわたる。
      
大バッハもモーツアルトもはたまたベートーベンも、かくやあらんと、
この聖堂の響き聴いたわたしは、つくづくと音楽とその響きの、
心と体と魂に深く及ぼす影響を思いしらされた。
ああ、これが、西欧音楽の根底となる響きだったのだ!

西欧の音楽はこの聖堂の響きなくしてはありえないだろう。 
よくもまあ、この響きを知らずして、これまで西洋音楽をしてきたなんて、とてもいえそうもない。

それも小学生の頃からの大のバッハ好きが、聞いてあきれられますね
日本の小部屋で三味線しゃんしゃんとは、土台スケ−ルが違う。
学生の頃奈良のお水取りの声明をよく聞きにいったけど、
それこそこの中世ヨ−ロッパの教会音楽と並ぶところかもしれない。

しかし、わたしにとっての日本の音楽というと、戸障子も開け放って虫の声をきき、
木々の葉ずれ、風のそよぎ、外も内も一体となった安心・・・
自然の中での、自然そのままの生き生きした音楽・・・
それこそ日本的といえるもののようにわたしには思われる。

   


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