ゆきちゃんの世界
  * * * つれづれなるまま * * *
出会い

1995.10
(本物を感じる会通信 10月号) YUKI.I



小川茂年さんを偲んで 


        生きている   95年10月   小川 茂年


      稲穂の垂れの重みが
      秋空をうつしている

      そこには
      太陽と水の姿がみえる

      米というのは
      太陽という父と
      水という母から生まれた
      子供だ

      太陽の力強さと
      水のやさしさがある

      暑さと冷たさ
      暖かさと安らぎがある

      太陽の偉大さが
      下につき方円に従う
      水の性をうつしている


      母というものに
      父が従うかたちが
      稲穂にあらわれている



      それが
      稲づくりを田づくりとした
      生活の思想をも
      うみだしている

      幼児を養う乳に
      チチという言葉を与えた
      思いが浮かんでくる

      しかし
      もうこの国には
      稲が伝えた生活も
      思想も文化も
      なくなって
      稲だけが育っている



        白鳥の唄   95年10月号   小川 茂年

       お互いのつながりと
       関わり合いの
       生命の働きのなかで
       生かされ
       生きていることで
       自分も他人も
       全てのものは
       ひとつになっている

       生成し流動し胎動している
       ひとつのものを
       自己として発見する

       そこに
       人間としての生が
       与えられながら
       いきつづいている
       よろこびがあるのだ

       自由の発見である


 今回初めて、私のポエムでなく、つい先日9月22日に心筋梗塞で亡くなられた小川茂年先生のポエムをのせました。
 先生はまだ69才でした。
 あまりに突然の″死″の訪れでした。
                          
 先生は”モーネン先生”と呼ばれ、日本全国多くの方々に親しまれ、この「本物を感じる会」をはじめるきっかけになってくださった先生でした。

 日本中をお一人で、袋にゲタのいでたちで、西に東に歩きまわり、沢山の体の具合の悪い方の手当てをなさり、多勢の人にその手当ての技術を伝えてくださいました。

 隔月に西を回る時には、必ずうちの会で「手当て操法」の講習をしてくださっていました。

 
 先生との出会いは今から5年前の夏、私がまだ神戸に来たばかりで、茨木市での畑を耕すことから始まり、給食の取り組みや、消費者クラブでのコピライタ−などを経て、″純粋の自然農法!産物″だけを扱う、とある船場の自然食のクラブのコピーライターをしていた時でした。 

 同時に、その頃は、世界救世教の方々とEM菌の発酵堆肥づくりなどして、自分の畑でも試していた頃でした。
                           
 その頃の夏でした。三重県青山町の愛農高校で、毎年ひらかれる″愛農大学″に子供たち
と一緒に初めて参加し、そこで、小川先生にであったのでした。


 私は、原因はもう忘れましたが、人のお世話をして指を痛めてしまい、なんたることか、朝になると小指がしびれ指が曲がらず、普段も痛みもあり、まったく、リューマチのような状態になっていたのです。
 そして私のピアノ生命ももう全く終わりかと大変悲しんでいたころだったのです。


 ″愛農大学講座″のメインは小川先生の講義だそうで、それだけをめあてに来る方々も大勢いらっしゃるので、いつも日曜に設定されるという小川先生の講義を初めて聞きました。  

 私は、先生がそんなに有名な方とは存じあげませんでした。 ただ、その時より10年前に″食養の道″という雑誌の″生きている″というシリーズで先生の文章を読ませていただいており、写真もあって、何故かとても印象に残っていた方でしたので、目の前でお会いできてとても喜びました。

 そして、お話から実習にうつり、講習もそこそこに各人の体なおしがはじまってしまいました。 

 そこで、これはもっけのさいわいと、私もさっそく、2カ月近くにもなる″つき指″がますますひどくなっていることを言いますと、手のひらをさわってから、一度おさえて、「どうですか」 「いえまだよくありません」 もう一度おさえられて、「どうですか」 

 「あっ、すっかり曲げれました。全然痛くもありません!」 というわけで、私の悩みの種だった″つき指″は一瞬でなおってしまったのです。
全く不思議でした。 

 わたしは、唖然としてしまいました。

 そこで、その年の12月から六甲で、先生をかこんで集まりを持ったのが、「本物を感じ
る会」の実質的な始まりでした。 

 以来4年間、地震の前まで隔月に六甲に来てくださっていたのです。 

 ああ、先生、今あなたの生命は全宇宙に融け込み、光を放っています!! 
 ああ、先生、今あなたのおもいは皆の心の中で確実にそだっています!!



         茂年先生    YUKI.I


   も う ね ん
   ぞうさんのように  やさしい目
   ビロードのように  柔らかい手
   いつも にっこりと  笑っていたお顔
   先生のお顔も姿も声も   私の心のなかに生きています

   でも ふっと  寂しそうだった肩
   ふと遠くを見つめる  少年のような眼差し
   心にはいつも  静寂とともに
   若々しい血と  憤りたぎる思いも  
   抱いていた先生

   今  先生はどこにいますか

   先生は死して  光となって       
   その愛にあふれ  しかし真実への妥協しない強さをもつ
   そんな波動を  全世界に伝え 
   地球を  生命を  救うために        
   ″いしずえ″に  なられたのですね

   私には  先生の熱い思いが
   心に、脈々と伝わってき
   そして、風となって
   いまも 世界をめぐっているのが  感じられます

   先生  あなたの思いは  皆の心に
   しっかりと  伝わっています
   長い間  ごくろうさまでした
   やすらかに  私たちを   見守っていてください

   先生の浮かぶお顔が  いつも笑顔になりますよう
   自分の心が  地球が  
   人類が   よい方向に向かうよう
   時々刻々  気をつけて   
   祈りながら   生きていきます

   有難う  茂年先生     深い   愛と慈しみを 


ゆきちゃんの世界 つれづれなるまま


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