ゆきちゃんの世界
  * * * ゆきちゃんの世界の解説 * * *
詩「愛かしら 恋かしら」へのコメント

愛かしら 恋かしら
                    いけのゆき

 恋は情熱の炎  愛はおき火の暖かさ
 恋は心が千々に乱れる  愛は心が満たされて足りる
 
 恋は 燃え尽きてお終い  愛はじっくり育てていくもの
 恋は 相手をも焦がして  あっというまに燃え尽きるわ
   愛は 1人でも ゆっくり はぐくんでいける

 恋は 自分の内で勝手に 燃えさかる
   愛は 相手を  暖かく思いやる

 恋は 外にむかって 狩りをするけど
   愛は 内とむきあって 語り合えるわ

 恋はキャッチボ−ル はずれるとお終い
   愛は たとえ相手が受け止めれなくても 持てるもの
 
 恋を 燃やしすぎないで 耐えてゆっくり 育てていくの
   そうすれば  いつのまにか  愛にかわっているわ
 決してあきらめないで 絶望しないで
    つらいけど  耐えて  考えて  ゆっくり待つの
 そうすれば 互いの愛の喜びに 満たされる時が 必ず来るわ



コメント1

この詩をよく読むと恋と愛がどう違うのかについてよく分かります。
くりかえして読んでみてください。
愛は、相手に幸せと喜びを「与えたい」という心です。
恋は、相手から幸せと喜びを「与えてもらたい」という心です。
たとえば、小さい子はお母さんが「恋しい」ですね。
お母さんは、自分の子を「恋しい」とは思いません。
「愛しい」と思うのです。
子どもはお母さんに抱っこされて、幸せと喜びを「与えてもらたい」のです。
だから恋しいのです。
お母さんは自分の子をだっこしてあやし、時にはしつけのためにしかることもあるでしょう。
それは、自分の子どもに幸せな人生になるように、子どもに「愛」を与えているのです。
だから、子どもから大人へと成長してゆくということは、
恋する人から、愛することのできる人へと変わってゆくことを意味しています。

みなさんの中には、恋人ができなくて、さびしくて悩んでいる人もいるでしょう。
でも、一番大切なのは愛することのできる人になることです。
「愛する」ことのできる人になるとは、
ほかの人に幸せと喜びを与えたいという心をもつ人になることです。
そして、あなたが、「愛する」ことのできる人になる時、恋人があらわれるでしょう。
あらわれないとしても「愛する」ことの喜びを知ってゆくでしょう。

たとえ、大好きな恋人と結婚しても、夫婦げんかばかりしてしまう時がきます。
その時、愛するとは相手に幸せと喜びを与えることだいうこの詩を思い出してください。
二人の結婚生活は幸せなものになってゆくでしょう。


コメント2

心は、最初「私」だけを考え、「私たち」になります。
そして「私たち」の半径は広がってゆきます。
それは「愛」の半径の広がりでもあります。
「愛」の半径を無限に広げること、これが人生の最終の目標です。
サルカールが、無限の意識に有限の心を融合させることを、
(ヨーガ=スピリチュアリティ)を人生の最高の目標にせよというのはこのことです。

愛の半径を無限に広げてゆく途上のレッスンとして、
恋愛、恋⇒愛の試練があるのではないでしょうか。
一番大切なのは「愛する」ことのできる人になること、
そして愛の半径を無限に広げてゆく生き方です。

究極の一者とは無限の愛です。
あなたが無限の愛になりなさいというのが、
サルカールやウィルバーの非二元=ワンネスのスピリチュアリティ哲学です。
それは顕現した多者への愛にほかなりません。


ゆきちゃんの世界 ポエム 次へ


Copyright 2006 Spiritual Peace Musician Ikebe Yukie , All right reserved.