大分出会いの村
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大分出会いの村 1995.8. YUKI.I
◆水・瑞・霊出づの豊かな大分◆
●大きく分かちあう 出会いの村
大分は、何故オオイタと読むのでしょうか。 私は大きく痛みを分かちあうという、人としてのあり方の原点が″大分″の字に表されていると思うのです。
そして、それは、日本の精神の原点でもあるように私には思えるのです。
又、分かつとは、分かるということでしょう。大なるものが、分かるそれが大分なのかもしれません。
私は7月末に95人の被災地の子供たちのホームステイについて大分へ行きました。
そして、大分里親協力会の安東静夫さんのなさっている″出会いの村″で一泊しました。
安東さんは、まえまえから自宅を改造して、″出会いの村″となづけ、民間の国際交流をなさっていました。
安東さんのところにショートステイしたハーバード大の学生の書いた本が、安東さんのお宅の様子をよく伝えています。
「日本の高校生たち」 スチーブン・ワーデル著 サイマル出版 1600円
●大分里親協力会
そして、安東さんは、この阪神大震災が起きて、何かできることはないかと、大分里親協力会を呼びかけられました。
すぐさま子供たちにこちらに避難しませんかという、パンフレットを沢山持って、工業高校の赤嶺和樹先生たちが神戸にこられました。
私もボランティアで高羽小学校に行った時、その夢のあふれる善意あふれるパンフレットをみて、まあ素晴らしい、有り難いことなさってるわ。
と、強く印象に残っていたことを思いだします。
でもうちの子は被災したわけじゃないからと遠慮したことも覚えています。
●震災当初の多くの善意はどこに・・・
ところが、当初の被災者にとっては、たとえ避難所は辛くても、今、神戸を離れてしまうだけの心の余裕も勇気もなかったのです。
震災当初、全国から多くの善意が各役所に届きました。しかし、役所はとてもそれらに対応するひまがありませんでした。
インターネットにも全国から「来てください、家も食べ物も提供します。 仕事も提供しましょう」と、どんなに多くの救援のメッセージがはいったことか・・・・!
ところが、それらの善意の情報はほとんど″タレナガシ″の状況でした。
私は、灘ボラのテントにきた時、すぐさまそれらを打ち出してもらい、避難所をまわる時にコピーを配ってまわりました。
しかし、目の前の壊れた家に、物に、亡くなった肉親のことで心がいっぱいの被災者にとって、せっかくの善意の情報もそれどころではないということが分かりました。
つまり、情報のすれちがいであり、上手にコーディネートする人が全くいなかったのです。
他にも需要と供給がうまくつながらないことは、沢山ありました。
●温泉招待ツアー
というわけで、大分の皆さんの子供をあずかろうという善意の企画も、応募者が一人もいませんでした。
その時、大分では、沢山の救援物資が集まり、里親制度も203家族、370人の受け入れが可能な状況になっていたそうです。
しかし、何とか皆さんに喜んでいただける企画はないかと、″出会いの村″は次に温泉への招待旅行の企画をしました。
そして、2月10日には、神戸に来て、物資の支給をしたり、里親制度と温泉ツアーの宣伝をしたそうです。
又、安東さんは、母親を亡くした赤ちゃんを引き取られて、しばらくの間養育なさっていたそうです。 その赤ちゃんは、大分で養子希望の話が沢山あったそうですが、結局父親のもとに帰っていきました。
そして、大分では温泉ツアーの無料招待のためのチャリティーバザーを催しました。
資金、物資、スタッフの協力の申し出も沢山あり、寒いさなかの2月24日〜27日には「第1回阪神・大分温泉交流会」を実施して、180名の参加がありました。
これもじつは、250名参加ということで、いろいろと用意や準備をしていたのに、当日に180名になってしまったのだそうです。
それも、何か宗教がらみとか思われたり、不安になられたのか、当日キャンセル(といっても本人には無料ですが)が70人もでたそうです。
港まで来て戻られた方もあったそうです。 人さまのお世話もなかなかじゃありませんね。
又被災地の皆さんも、地震のショックで心も疲れておられ疑心暗鬼にもなられていたのでしょう。
それだけにのんびり、ゆっくりと休養し、体を暖めてほしかったのです。
ところが、それが、大好評で、3月にも50人に限り「第2回 阪神・大分温泉交流会」を実施されました。
●遠い大分から被災地の救援に・・
そして、春休みには、子供たちのサファリと苺狩りのホームステイの交流会をしました。
又、大分の各所で、被災地の子供たちの絵画・作文展も開催したり、フォルクローレのバンドMAYAのチャリティーライブも開き、利益の約40万円を神戸母子寮の再建費用の救援金になさったそうです。
又、赤嶺先生、三村さんは私たち″ひまわりネットワーク″が灘南の仮設住宅に大きなアルジェリアテントを建てる時にも、工業高校の生徒たちと一緒にボランティアに来ておられて手伝ってくださいました。 私たちとは、それ以来のおつきあいです。
●子供たちのホームステイ
そして、この度、夏休みにたった5千円で、2週間のホームステイを被災地の子供たちの為に企画してくださいました。 阪神・大分交流会第4弾「久住高原で星を見よう」です。
これにうちの4番目の娘も、ひまわりネットワークのスタッフの田口さんのお子さん2人も参加しました。
そして、私も皆さんに薦めたてまえ、様子伺いに出発の時についてゆくことにしたわけです。
子供たちが95名、スタッフが10人ほどで大阪南港を夜出航しました。そして、翌朝6時半大分につきました。
●大分での滞在
夜中、フェリーで熱をだした子の看病についてて、クタクタの私は、翌日、我が子はステイ先にすっかりおまかせして″出会いの村″でぐっすりとお昼寝させていただきました。
そして、安東さんとゆっくりお話しました。
翌日は、船のスタッフで一緒だった安部百合子さんの娘さん、由美子さんの車で出かけました。
茨城県からのボランティアの小野さんと一緒に、高崎山から別府の温泉を見て、湯布岳を見ながら温泉につかったり、湯布院をひとめぐりしました。
大分も素晴らしい土地です。 赤い地獄の温泉の隣には、澄みきったマリンブルーの極楽のような温泉・・・緑豊かで、水清く、湯けむりのあがる大分は明るい日本の原点、まさに″日本のふるさと″のような気がしました。
帰り道、日本の八幡様の総帥があると知ってもっともだと思わされました。
その日の晩は、安部百合子さん親子と船で一緒だったもう一人の安部邦子さん、マミーのお宅でホームステイの子たちも一緒にお好みやきパーティーとカラオケ大会をしました。
●日本の田舎
翌日は朝はやくから、大分の田舎をゆっくりと散歩しました。
神戸に来る前に7年間も畑をしていた私にとって、田舎はなつかしくてうれしいものでした。
私もいずれは、田舎に落ち着いて、ゆっくり、音楽と畑の「晴耕雨弾?!」の生活をしようと深く心に刻みました。
白いきょうちくとうが今をさかりと木にいっぱい咲いて、はらはらと雪のように舞い落ちてきます。
つゆ草の朝露はきらきらと、日の光を七色に輝き分けて、生命のみずみずしさを謳歌しています。
深い竹やぶに入ると、はがれた大きな竹の皮が足元にころころところがり、やぶ蚊がウワーンと顔のまわりをとびかいます。
チラチラと竹の葉の間からふりそそぐ柔らかな日の光をうけながら、頬にすずやかな風を感じながら竹やぶをくだると、パッと視界が開けました。
目の前には、緑豊かな水田が森の中にひっそりと広がっています。
白さぎが驚いて飛びたちました。 白い羽根をひろげ、青空を優雅に舞っています。
次に森から山ばとが2羽飛びたちました。 風といっしょにくもの糸が顔にかかります。
田の水は澄みきって、溝にはとうとうと豊かな水量が流れています。
うちで頂く自然農法のお米も毎年大分の山奥から頂いているので、こんなにも大分がなつかしく思えるのかしらとも思いました。
水と緑と田んぼ、それは日本のふるさとの原点でしょう。
●明るく輝く国東半島
一足さきの帰り道、わたしは、大分から日 豊線に乗り広島へと向かいました。 国東半島の空は明るく輝いています。
宇佐駅のプラットホームのポスターがふと目に入り、フッと飛び降りてしまいました。
丁度今日から夏祭りなのです。 ふだん神社めぐりなどしたことのない私が不思議でした。
しかし、はるか大分まで、来てしまった何かがあるように感じたのでした。
宇佐の八幡宮は全国の八幡様の総帥だそうです。
応神天皇とウケヒの三姫と神宮皇后が祭られています。
又、他の神社と違って2礼4拍手だそうです。 ″おみくじ″をひくのは子供の時以来かなと思いながら一つひくと2つの″おみくじ″と宇佐の地主神、北辰様(天御中主命外)の″お守り″がはいっていました。
●偶然という名の必然
北辰様御加護(幸運)
(天御中主命外)
由緒宇佐の地主神で星を支配する神
人々の星のめぐり合わせに幸運をもたらす神として
古くから信仰を集めております
やはり、赤嶺和樹先生と偶然出会い、この大分まで来てしまったのは必然だったのでしょうね。
この北辰様のお蔭だったのでしょう。 本当に素晴らしい出会いを有難うございました。
●おみくじ!
17番(小吉) 軒のはの 嵐の風はさわげども 春を覚ゆる 家の内哉
願い事 思いのままです 他人の世話をよくせよ
19番(末吉) はなされし かごの小鳥のとりどりに
たのしみおおき 春ののべかな
願い事 他人を助けよ 人の助けにて 叶います
・
と、まさに今の私にぴったりの運勢のように思われます。(おみくじなんて似たようなものかも)
しかしながら、まだボランティアを続けている私にとって、大変に力づけていただいた″おみくじ″でした。 まさに不思議に有り難く思われたことでした。
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