1996.3.3
(本物を感じる会通信 3月号) YUKI.I
●混迷の世界はどうなってゆくのか
今、地球の混乱に乗じて、世界の政治や経済も混乱へとむけてゆき、究極世界は一つ、地球は一つというワンワールド構想なるものがもくろまれているらしいことを小耳にはさんだりします。
それは、民族紛争の激化、コンピューターに頼りきった危うい金融市場、3Sをあおる行き過ぎの娯楽による人間性低下等々、身近にもみえつつあるようです。
しかし、一つのものが世界を統一支配するということは、今後とも、ありえない状況だと私は思います。
これまでの資本主義の″大きいことは良いことだ・強いもの勝ち″の資本の偏り、大量生産、ピラミッド型ヒエラルキーの思想は、もはや過去の遺物であると私は感じています。
西欧のギリシャルネサンスに始まるキリスト教による上からの統括、ルイ王朝、ヒットラー、ゴリおしの国連等々にみられる統一支配思想。
偏見、偏狭、差別を持つ、これら資本主義的思想はもう終鴛をむかえていると私には思われます。
先だって崩壊した共産主義も資本主義と表裏一体のものだといえましょう。
これら″体制による搾取″の主義主張は、もはや巨大な恐竜となり、最後のあがきをしているように私には思われます。
●資本主義は終鴛に
EU統合もそのひとつです。
夢よもう一度・・・、しかし当分無理ではないでしょうか。
西欧の時代は終わったのです。
ヨーロッパ連合のEU諸国はもはや経済ブロック強化にみられるように、守りの態勢にはいってきています。
西欧はこれから閉鎖的、鎖国的状況へとすすんでいくでしょう。
かつて日本が鎖国をしていたように・・。
自らを反省し、東洋の精神的心随を謙虚に学ぶことがなければ、西欧はこれから再びあの中世の精神的混迷の時代と同様なものへと入りこんでいくでしょう。
人も国も運気が落ちる時は閉鎖的になり、自己防衛と古い因習にとらわれるようになっていくものです。
共産主義も滅びました。
西欧最後の砦の資本主義もまもなく瓦解していくだろうと予測する人もいるそうですが、バブルはじけたと同様に、今の虚飾の経済がいつまでもつづくはずはないと私も強く感じています。
当会員のE氏も同意見だろうと思われるのですが、3月14日の例会で、是非彼のエコノミーアラカルト第2弾を聞いてみたいと思っています。
●東洋的な平和と共生の世界へ
では、共産主義も資本主義もいきづまった後に何がくるのでしょうか。
それは、東洋的な精神、地球的、宇宙的な意識といえる″それぞれの違いを尊重しあい、共に生かしあう″時代へと入っていくと私には思われます。
誰かが誰かを支配できるなとどいう傲慢な主張は、各々が自分を深くみつめれるようになり、自信がもてて、自立できるようになると影をひそめざるをえなくなります。
経済の市場もこれからはアジアに広く開かれていく時代です。
その方法も西欧式・経済的植民地化や搾取でなく、共に助けあい、生かしあう方法でなされていくならば未来は開けていくと思われます。
●″新しき世界″をめざして
新しい世界では統一支配、号令一下などというこれまでの西洋的発想ではなりたたないでしょう。
西欧の12世紀前期ルネッサンス以来の物質主義や収奪、搾取のやり方、金拝的価値観は、来るべき新しい地球を維持してゆく思想からみるとかなり次元の低いものとなるでしょう。
新しき世界への入り口、21世紀は、これまでの西洋文明時代の″科学技術至上の物質文明・精神的には中世暗黒時代″からの脱却をはかる方向へと進んでいくと私は思っています。
●西欧のU、東欧のナ? ″中庸″の時代
アルファベットの21番目は″U″です。 20番目のTで、まさに字のとおり頭うちとなった20世紀。
来たるべき21世紀は西欧にとってUターンの時なのです。
何に戻るのか。
それは、西欧の人々が一度、全てドーンと落とされて気づかされるところではないでしょうか。
21といえば、″いろはにほへと・・・・″の21番目は″な″。
48文字でいえばほぼ中間、″なか″に属するでしょう。
50音でもナ行はまん中。
″ナ″は、″なか″にもみられるように調和しているものを表します。
なかま、なかよし、なかだち、なつく、なれる、なだらか、なだめる、なぐ、なぐさめ、なおす・・・・などに感じられます。
″カ″は、〜か?で使われるように、みえないもの、はっきりしないものを表わします。
これからの時代は見えないもの、はっきりしないものと調和してゆく時代なのです。
今の科学では計れないところを一人一人が感じれるようになる時代がきつつあるのです。
昔の日本人は見えないものの気配を感じその有り難さに感謝していました。
これからは、その意識を取り戻す時がきていると思われます。
●みえないものとの調和の時代
たとえば、″ハナ″の″ハ″とびでているもの、発するものがハ 、″ナ″ 調和
しているもの、という二つの意味を″ハナ″の音は表します。
ですから顔のまん中で突出した形で調和をたもっているものが″鼻″というわけです。
″奈″の漢字も大=小です。
大なる宇宙と小なる原子核のまわりを電子がまわる様とは全く相似象です。
無限にみえる宇宙と各人の心の内なる深遠な内的小宇宙も同等の価値があるといえましょう。
″菜″も野菜と米がバランスよく働くさまをあらわしているようです。
又″納″も内なる糸、縁への気づきともいえましょう。
このように見えないものに気づき、見えるもの見えないもの、大きいものも微小なものも、全てがそれぞれに意味を持ち、調和していることをあらわしているのが″ナ″といえると思われます。
● 新しき世界は それぞれの本質へと向かう時代
今世界で民族の峰起、民族間の紛争が各地でおきています。
これは人間が人それぞれに自分自身の本質にむかいつつある証拠ともいえなくもないでしょう。
自分のよってきたるところは何か。
一時はやったルーツであり、民族でもあり、本心でしょう。
″魂″にいきつくまでに、まず自分の心を作ってきている様々なものごとを深く知ることが必要でしょう。
衣食足りて礼節を知る。 新しき世界は、これまでの産業革命以来の″物質主義、科学万能の科学信仰″からも一つステップアップする時がきていると思われます。
●新しき世界は 平和と共生の意識で
世界各地の民族意識の台頭は、人間の意識が外形や表面的なとらわれから、自分の内面へと向かってきた証拠のひとつかもしれません。
日本の封建社会で、何世紀にもわたり押さえつけられてきた大きなエネルギーは、ゆがみ、ねじまげられて第二次大戦という形で爆発しました。
そして又、短兵急に高度経済成長も遂げたのです。 この日本人の持つ大きなエネルギーが、決して地球を世界を滅亡させる方向にむかわないよう、明るく開かれた方向へむかうよう一人一人が、精神的に自覚して、新しい世界をつくる精神的エネルギーを高めていかねばならないと強く思われるのです。
日本は今後、自分たちの得た西欧科学の知識と技術をアジアに分かりやすく伝えていく役目があると思われます。
それには、日本古来の心、全てを包含し、全てに前むきな意味をみいだしてゆき、何よりも清明で澄んだ響きを尊ぶ古神道的な意識を持って働けることではないでしょうか。
その精神的な裏打ちがあってこそ科学技術は素晴らしく生かされるのです。
清く明るく楽しい響きで世の中が満たされていくよう、各自が心の深層へと下り、その日本人の根本的な精神にもとづいて働けることを問われている時だと私は思うのです。
●日本は東洋と西洋の架け橋になれるか
易の原則の一つ″極陽は極陰に通ず″今、極西といえるアメリカは巨大な病める象です。
そして、その資産は今極東の日本に集まっています。 移しかえたごとく、アメリカの富をいただいた日本としては、これから″新しい共生の意識″を持って、これからはその富を新しいアジアの蒼生のために還元してゆくことが望まれます。
しかし、日本がこれまでと同様に資本主義経済にならって、これまでと同じ枠組の中で、掠奪と搾取を繰り返すなら、新しき世界、新しいアジアの一員として組みこまれないで、エセアジア、これまで搾取してきた西欧の一員とみなされるでしょう。
ニューアジアの諸国から見放され、西欧と同じ中世の混迷の中へと突入していく事態になるかもしれません。
●ニューアジアのリーダーとしての自覚を
今まさに地球は″西洋と東洋がおりなす文明の二重らせん″の大きなくびれの″変革期″入ってきているとは文明法則史学の方々のいわれるところです。
いちはやく変革の火ぶたをきってアジアに位置する日本。
その日本が″ニューアジアのリーダーとしての自覚″のないままに、エゴにまみれた心や、同じ弱肉強食の論理で、今後も政治経済に対応していくつもりなら、この日本に集まった資産はアメリカと同じ穴のムジナとなり、虚業による一瞬のコンピューター市場の動きでその富は煙のごとく消えさることだって考えられるのです。
だって、実質を問えば、かなりの砂上の楼閣は十分にみえているようです。
住専問題は氷山の一角です。
赤字国債、日銀のドル買い介入、銀行をはじめ・JA・郵便局・ノンバンク金融市場の不良債券の山積み・・・・今、住専をうやむやにすれば、″膨大なつけ″は確実に今後の国民の税金や生活にかかってきます。
親の″つけ″を子や孫にまでまわしていいものでしょうか?!
これらをほおったままにしておくと、今の政治を牛じるご老体が、身罷られたころには、にっちもさっちもいかなくなるんではないでしょうか。
子供たちの幸せな生活、私たちの老後は今の不良経済の借金の″かた″に奪われてしまうかもしれません。
いまこそ国民は目覚めて声を発する時です。
●真に助けあうことを考えて
今現在でも、この阪神大震災に遭遇した多くの国民が、急な財産の喪失に呆然としているまま生活再建のみとおしも遠い状況です。
これは、住専の救済問題とは全く違う、法律で一番に守られるべき国民の基本的人権の問題です。
天災により、一瞬でなくした財産と生活です。
神戸市は地震に関する重大な情報を隠してきたので、想定不可能なんてことになったともいわれています。
国民の安全を守るのが国や市の役目でしょう。 いえば想定不可能な事態であったからこそよけいに、国民の税金で助けあい、支えあうところでしょう。
それが、自助努力とせよといわんばかりに今、被災者ははどこからも見はなされている状況です。
今は誰もが、特に政治家、経済人が、自分たちの欲、自分たちの利益に囚われず、まさに浮わついた日本経済を建てなおす時です。
そうでなくては、大震災の神戸市と同様に、経済の大震災がおこり、一度手に入れた膨大な資産も早晩手放すことになるやもしれませんね。
それからでは、遅すぎますよ。
●神戸は日本の雛型 外よし内悪しの神戸
その先ぶれとして阪神大震災はおきたと私は思っています。
私が一年前の地震報告で述べたように、神戸はまさに西欧にならい、資本主義の御旗をたてて、自然破壊と弱肉強食の論理でひた走りに走っていました。
山をけずり海をうめたて、地面をコンクリで覆い高層ビルをたて、西欧的合理主義、経済至上主義でずっときていたのです。
そのビルの谷間に弱者、貧者の安アパートや古い家屋は日影に省りみられることなく放っておかれたのです。
震災で亡くなられた方々のほとんどが、そうした老朽住宅の高齢者でした。
震災後、生活のたてなおしのできない高齢者の方々がこうして大量に出てこられたことで、じつは高齢者福祉が日本でワースト3の神戸だったということもあらわになりました。
ピカピカ輝くガラス張りのビルと風見鶏の粋な洋館の観光の街は、″外よし内悪し″の典型的な表層的なエゴの街であることが、震災で揺さぶられたことであきらかにされたのです。
● 神の戸は叩かれた 正がでるか 邪がでるか
これは、本会の通信の地震報告第一弾のタイトルでした。
あれから一年を経て、神戸の街は、人は、その心はどのように再建されてきているのでしょうか。
″株式会社神戸″の上から一方的におしすすめる傲慢なやり方は皆から叩かれました。
阪神大震災は、自然が地球が″神戸のあり方はまちがっているぞ!″
と揺さぶったと誰しも感じているところです。
その揺さぶりを神戸市は県は国はこの一年間、どのようにうけとめて対応をしてきたのでしょうか。
神戸に在って、自らも問われるべきこの問題は、次号にて詳しく述べさせていただきたいと思います。皆さまはいかがお考えでしょうか? 感想をお寄せ下さい。
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